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昔は人間以外の動物はみんな死ぬと死んだと云っていた。
悲しみながらも「ウチのネコが死んじゃったの・・」と言い、聞いた人は「どうして死んだの? もう年だったの?」・・・などと言った。 ところが最近はペットが死ぬと・・ネコが亡くなる・・という云い方をする人が多い。よそのネコのことをいうのではなくて飼い主が言う。・・・ウチのネコが亡くなったの・・・ 私の育った時代はペットの家族の位置が低かった。 今の50代くらいはもうペットの死も家族並みで、死んだとは云えないのかな・・・と思っていたら70代の人も最近愛鳥のインコが亡くなった・・とブログに書いていた。 それに収容所のボランテアの60代も・・・飼っていた犬は亡くなった・・・という。 私にはちょっと違和感のある云い方だ。 先日収容所の老犬が死んだ。 この場合はみんな「サンデーが死んでいた・・・」と言っていた。 やはり死んだペットの位置で言い方を変えるのか。 年代のせいじゃなくて、これはもう時代感覚の言葉になってきたのでしょう。 今は死ぬという言葉はきつ過ぎるのか。 文章では星になったとか虹の橋を渡ったとか書けるが、直接人に云うときは、たとえば「フウロが死んじゃったの」・・・とポロポロ泣くほうが私にはぴったりする。 エサもゴハンだし、お葬式も結婚式もあるペットの世界。 私の頭も切り替えなくちゃいけないのかな。
by oss102
| 2010-02-24 14:54
| 日々のこと
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Comments(20)
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chobin-mama
at 2010-02-24 18:17
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なるほど。。。
私はどうでしょうか。 女子高生の時は、「猫が死んじゃったの。」と言っていたと思います。 今でしたら、きっと、「亡くなったの。」と言うでしょう。 食べる物は、「ごはん」だったり「えさ」だったり、いろいろです。 昔は、飼っているという感覚。今は、家族という感覚ですね。 愛情の深さには、かわりはないと思いますが、感覚が違うかもしれませんねぇ・・・。 50代の女性は、私以上の愛情を、注いでいる方ですが、「死んだの。」と言っていましたね。 どんなに深く可愛がっていても、犬、、、という立場なのでしょうね。 私は、犬猫ですが、わが子のように感じます。
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あきの
at 2010-02-24 18:45
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亡くなるというのは丁寧な言い方と思っていました。ちかごろ「死ぬ」を、きつい言葉とみんなが感じるようになった。それでソフトに言うために「亡くなる」になったと思いませんか。
私はいろいろごちゃ混ぜにつかっているかしら。
他人さまの犬は「亡くなったの?」ですね。 以前、犬に餌を「やる」か「あげる」かで、やはり違和感を感じてました。 犬に向かっては、「ご飯もらったの?」と聞きますが、 留守を頼んだ娘には「エサやってくれた?」です(笑) ↓ とても面白そうな本ですね。 図書館へリクエストしてみます。
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fuchan_k at 2010-02-24 21:10
「死ぬ」「亡くなる」・・・使い分けが必要なんでしょうかね。
自分のペットには死んだと言えても、人様のだったら 亡くなったと言ったほうが良さそうですね。 ↓花びらのジュウタンを楽しむショウマちゃんと オリヅルランで遊ぶフウロちゃん。 どんな賞を頂けるのか、楽しみですね。
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sidediscussion at 2010-02-24 23:53
自分の中では「死ぬ」と「亡くなる」は表現として微妙に違うと思うのです。 「恋人のインコがあ~~~ぁ死んじゃった」と言いますが、文章にするときは、インコが亡くなったとまるで人格扱いです。自然に使い分けています。 死んだも亡くなったも実際には同じ、いまだに悲しさをひきずっている70才老女でございます。 「ペットに先立たれて」とは決して言わないでしょう。ことばって面白いですね。
私も文章にすると亡くなるをつかい人に話す時は死んだと言っていると思うのですがその時の状況で違うかもしれません。最近記憶がアヤフヤで(~_~;)
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sharifa-image
at 2010-02-25 10:16
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亡くなるというのは「死ぬ」の尊敬語なので身内の場合は使わないのが日本語です。
でもやっぱり「死ぬ」という言葉はダイレクト過ぎるのでしょう。 私は「ミニーが死んだ」と言えるかなと考えたのですがたぶん 星になったとか天国に旅だったという言うでしょう。 人間の身内なら「他界」したというオブラートに包んだ言い方が あるけどペットには使いませんものね 日本語って難しいです。
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ririhallo at 2010-02-25 11:36
最近の我が日本人の中には 敬語と謙遜語の違いが ゴチャゴチャの方が増えつつあるように・・・・感じますが。。。
私もはっきりは わからないし~~ 敬語 尊敬語・・・さっぱり。。。。勉強しなくてわ!!
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oss102 at 2010-02-25 12:12
chobin-mamaさん
使う場所によっても違いますね。今は自宅で死ぬということがなくなって、死ぬ・・という言葉がとてもきつく拒否する気持ちが強いのでしょう。年代ではなくて時代でしょうね。日本語は色々ありますから。
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oss102 at 2010-02-25 12:13
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oss102 at 2010-02-25 12:16
となりのとまとさん
娘にいうときは「フウチャンにごはんやった?」とかそのときの気分ですね。^^ でも他人にいうとき、文章に書くときはもう亡くなるが普通になってきたのですね。言葉は時代とともに変化します。 私も気をつけようと思います。
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oss102 at 2010-02-25 12:24
side discussionさん
ペットに声をかける言葉、文章にする言葉、いろいろあって当然ですがやはりペットが家族の一員の意識が強くなって言葉も変遷していくのでしょう。日本語は多様で面白いですね。
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oss102 at 2010-02-25 12:26
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oss102 at 2010-02-25 12:29
sharifaさん
言葉は時代とともに変わってきます。ペットの位置が上がってきたのですね。よいことと思います。 英語なら簡単ですが、日本語は沢山の言葉があります。オプラードに死を包む言い方が沢山あります。 フウロは千の風になって・・・な~~んてね。
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oss102 at 2010-02-25 12:32
ririhalloさん
日本語はあいまいな言葉が多くて難しいです。それも高度な文化なのでしょうけど・・・私はもっとシンプルに使ってもよいと思うのですが回りが変わってくればそれに合わしていかなくてはね。
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fu-and-boro at 2010-02-25 15:09
私もいろいろ考えて見ました、
口に出して言うならたぶん「死んでしまった・・・」だと思うけど こうして文字にするなら・・・?・・・「死んでしまった」と書かないかも・・・、 でも「亡くなった」とは書かないと思う。 いろいろな言い方があるので「星になってしまった」とか 「虹の橋を渡ってしまった」とか言うのでしょうね。 エサは・・・エサと言いますしゴハンも使います、 反対に我が家の大事なお坊ちゃまの次男には「エサ食べる?」と言います。 はっきり言ってお坊ちゃまの次男は2ニャンより↓・・・です(爆)
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oss102 at 2010-02-25 15:14
fuchanさん
順番が変わってゴメンナサイ。またまたミスですよ。貴女に書いたのに気が付いてみれば他の人の名前に・・・まったく注意力散漫です。 もう写真の賞はダメでした。でも参加すると楽しいです。 言葉も時代とともに変わってきます。方言を直すときのように少しは抵抗があるのですが、意識を変えていかなくてはね。
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oss102 at 2010-02-25 15:17
fu-and-boroさん
本当に日本語は多彩ですね。私も相手が・雰囲気が・場所によって色々な言い方になります。でもかなりペットの亡くなる・・は定着してるようです。あからさまに云いたくない気持ちが優先するのでしょう。
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at 2011-08-19 17:13
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ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
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oss102 at 2011-08-20 18:11
山崎さま
コメントありがとうございます。みんな平等に・・という考えは危険もはらみますね。でもなんとか周りと融和して穏やかに生きたいと・・死んでいきたいと考える私です。
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