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ものの本によると三島由紀夫の人生の最初の記憶は、産湯に映った光だそうだ。
が、普通は満2才ごろからということらしい。 私は小学校5年で樺太からの引揚者で、田舎でいつも飢えていたころ、校舎の角を曲がって家に昼食を食べに行くとき・・・なにかの陰でふと、ひとけがなくなったとき・・・ えもいわれぬ甘いうっとりした気持ちになることが度々あった。 どうしてなんだろう・・・これはなんなのだろう・・・とその度に思った。 その気分になろうとしてもなれない。不意に私を包む感情なのだった。 少し大人になってから思い当たった。 あれはまだ2・3才だったとき、母の膝でゆられていたときの気持ちなのだ。 5人きょうだいの末っ子の私は、いつも母にまとわりついていた。 お茶の間の出窓にきょうだいが並んで腰掛けていて、その中に母に抱かれて揺られていた私がいた。 どんぐりころころ どんぐりこ♪ お池にはまってさぁたいへん♪ と歌いながら上下させていた膝を・・さぁ たいへんのときは開いて私は膝の下に落とされる。母はいつも着物姿だったから、一段低いところにおとされるだけだったが。 私はそのたびにキャッキャッと喜んで笑っていたのにちがいない。 私を包んだ、あのなんとも甘やかなきもちは、転校生で親しいともだちもできず、お腹を空かせていた私をなんども襲った。 襲った・・というのは表現がふさわしくないが、まさにいきなり襲うのだった。 あれはかあさんの膝、あれはかあさんの匂い。 数年して思い当たってからは、もうこういうことがなくなった。 食糧事情もよくなってきて、友達もできて淋しくなくなったのだ。 もう1度、あのおさない日の記憶を確かめてみたい。
by oss102
| 2010-05-14 16:37
| 思い出
|
Comments(14)
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あきの
at 2010-05-14 17:46
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そんな記憶を持てているOssさんは幸せです。なんといっても母にしっかり愛された人は、今のような世の中になっても、おかしくはならないと思います。
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tmshanagn304 at 2010-05-14 20:56
いくつになっても「おかあさ〜〜ン」という気持ちはありますね。
私の場合、男ですから、、ということかわかりませんが、「お父さん」!!という気持ちが強いです。
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となりのとまと
at 2010-05-14 22:35
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人生最初の記憶が何であったか・・・その記憶さえありません。
お腹の中にいるときの記憶がある人がいるそうですが、信じら れません。 私は母親の乳房をまさぐりながら眠るのが好きでした。 けっこう大きくなっても触っていましたよ。 うちの子供たちは母乳でなかったせいか、まったく私の 乳房には興味を示しません(笑)
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花水木
at 2010-05-15 07:38
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心がじわっと来る良いお話ですね。
幼い頃の温かい思い出は一生の宝です。 そして、終戦時に小学五年生だったOSSさんには是非これからも戦争体験を語っていただきたいと思います。 日本は悪いことをしたということで、中韓に謝ってばかりの土下座外交ですが、本当にそうなのでしょうか。 私の祖父は、台湾で教師をしていて、母は台湾生まれで台湾の子供たちとも仲良く過ごし、今でも台湾人の友人がいます。祖父は、子供達に大変慕われ、引き揚げてきてからも同窓会に何度か呼ばれ大歓迎を受けたそうです。台湾政府から勲章をもらっています。 ですから、私は朝鮮の方々が反日感情を持つ理由が分かりません。台湾と朝鮮と統治は同じはずだったからです。 戦争経験者が存命な内に、しっかり真実を伝える必要があると思います。 長くなりましてすみません。
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hanairomimi201 at 2010-05-15 08:38
夢の中のお話のように綺麗な記憶ですね。
いいなぁお母さんの膝の上でどんぐりころころ・・。 キット本当にその時の自分の記憶なんだと思います。 私は父と疎開中の船の中の出来事を覚えているのです・二歳くらいです。 私は手に負えない子供でしたから母は他のきょうだいだけを連れて先に田舎に行っていてあとから父と二人で行ったのでした^^ 大きくなってからその話をすると大人たちは父親から聞かされた話だと言いましたが私は絶対あれは自分の記憶だと今も思っています。
お母さんとご家族の愛をいっぱい、しっかり受けて育ったんですね。お幸せです。
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oss102 at 2010-05-15 15:31
あきのさん
どこの家庭にもあったことです。それがあの時期にだけ度々襲った幼児の思い出、初めはどうしてなのかわかりませんでした。
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oss102 at 2010-05-15 15:33
304さん
男性はある時期を越えると、父親の気持ちがわかるようになり、偉さが分るようですね。自分が一家を支える大変さが分るようになったからでしょうね。
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oss102 at 2010-05-15 15:36
となりのとまとさん
不思議でした。どうしてこんな気持ちになるのだろう・・・幼児時代の記憶はこんなあやふやで雰囲気だけ残るものなのですね。
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oss102 at 2010-05-15 15:39
鶴子さん
昔はいつまでもオッパイを飲ませたり、さわらせていましたね。オッパイにとうがらしをつけたり、鬼の顔を書いたりして乳離れをうながしたそうですが、泣き喚くので負けたといつも言われていました。子供たち・・そうですね。アッサリしたものでした。(^^)
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oss102 at 2010-05-15 15:48
花水木さん
オジイサマは立派な方だったのですね。台湾と朝鮮と統治は同じ?私はよく知りませんが、朝鮮人には酷いことを沢山した本を何冊か読んでいます。台湾は今でも親日感情はよいですね。 語るべき勉強もしていませんので情けないですが、子供のときの 栄養失調で次々と体にオデキができて暗い気持ちだったのは忘れません。11才というと結構感じやすい年頃でした。
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oss102 at 2010-05-15 15:54
hanairomimiさん
2才頃から手に負えない子だったのですか?かなり自己主張の強いお子さんだったのですね。(^^)そういう方はとても頭の良い方とか。ボンクラは甘ったれでだめです。 私も祖母の死の場面を覚えているといいましたら、それは兄や姉に聞いて見たように思うのだといわれたことがあります。 どっちだったのでしょうね。
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oss102 at 2010-05-15 15:57
kiyokoさん
どこの家庭にもあったことだったと思いますよ。幸せに賑やかに生きていたら或いは思い出さなかった感覚かもしれません。非常にあやふやなのですが、あの甘いうっとりするような感情は母の胸に抱かされていたものだと思いあったったのです。 4・5才になるとはっきりした記憶になるのですけどね。
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