10月15日(金)パーク一泊旅行から帰るとすぐに電話が鳴った。
お父さんが淋しがっているので顔を見せてやって・・・人は死が近くなると淋しがるものだと・・・近親の死を多く看取ってきた兄嫁はいう。
札幌へ往復してすぐに血圧を測ると、ときには180を越える。疲れているときに無理はしたくない。
翌々日の日曜日に・・というと、それなら月曜は病室を変わるので朝から、と言って8時に兄嫁を迎えに行くことに決まった。
私が自分のスケジュールで見舞いに行く日を告げると、兄嫁は一人でも見舞い客がある予定があると、もったいないから別の日にして・・と必ず云う。
だれも来ない淋しい日に来てほしいのだ。ゆっくりおしゃべりもできる。
淋しいのは兄嫁なんだよ・・と心でボヤキながら、17日夜11時ころベットに入った。考え事をして寝付けないので眠剤を半錠飲んだ。
すう~っと寝入ったころに遠くで電話の呼び出し音を聞いた。ボーッとして10回くらいのコールのあと受話器を取ると、兄の容態が悪いと兄嫁の友人からの伝言であった。11時45分。
眠剤を飲んでいるので仕方なく、12時にハイヤーを頼み高速で病院に向かった。
病院に着くと兄嫁と息子夫婦が出てくるところだった。「間に合わなかったよ・・」
兄嫁も病院からの急変を聞いて駆けつけたときには、心電図はひとつ∧を打って、後はツーっと平らになったきりだったという。17日11時45分。
16日土曜日、兄は家族で仲良くしていた女ともだち2人の見舞いを受けて、”愛してる~♪♪と歌えば、
ボクも~♪♪と合いの手を入れて、看護師さんに「今までで一番いい顔してるね」と云われたという。
17日(日) 兄嫁と息子夫婦が行ったときは、点滴にブレドリンを入れられて、呼べば目を開けるがすぐに眠ってしまう状態だったという。
私が駆けつけたとき兄嫁は泣いていなかった。信じられぬ思いで呆然としていたのだった。
夜勤の看護師が巡回してそのすぐ後に、タンが詰まったのだろう。兄嫁が駆けつけたときは顔が腫れ上がっていたという。
一番苦しいときに私がいてやれなかった・・・あとで兄嫁は号泣することになる。
兄嫁も右手首の骨折のあとが痛み出し、限界に近いほど疲れていた。なんとしてもお父さんを最後まで看取ってやりたい・・・と頑張っていたのだ。
この年末まで持つかどうか・・と言われていた死がすこしだけ早まった。
疲れていた兄嫁への兄の優しさだったと思おう。
土曜日に行けばよかったのだ。悔いの残る一日となった。
つづく
みなさんへ・・・兄のことを長々と書きますことにお付き合いください。日記も兼ねていますので書いておきたいのです。コメント欄は終わりまで閉じさせていただきます。m(__)mヽ