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14日の日曜日、「新ニッポンの食卓」という久米宏司会の番組があった。
スタジオには全員70代の元美女がずらりと並んだ。
この世代はどんな食卓はだったのか。
南瓜やさつまいもの茎を食べていた。伝統的な日本食がならぶ食卓なんてものは育ち盛りにはなかった・・と女性たちは口を揃える。
敗戦後、物の豊かなアメリカや文化の高いフランスに憧れた。洋画ばかり見て歩いた。
冷凍食品が沢山出てきた。それを食卓に並べた。新しいものに飛びついた。
私は洋画は見て歩いたが、冷凍食品はあまり使わなかった。なにより冷蔵庫が我が家に入ったのは、本州勢から比べるとかなり遅かった。土地柄の違いである。
4軒の社宅の中で一番若い我が家に冷蔵庫がはいったとき、年配の社宅の人たちに、北海道で冷蔵庫なんてなにに使うのか・・と大っぴらな陰口を言われたものだった。
今まで教えられていたことがいきなりくつがえり、価値観も引っくり返ったのだ。
不自由な時代だったので、子供には自由にさせた。・・・自由が一番と口を揃える。
私も子供にあまりあれこれ云わない。
年代が同じだと同じような考えになるものだ。
私の育った世相を詳しくこの番組で見て、娘は私のことが良く分かったと、しきりに感心している。
一気に自由を得た青春時代の写真が出る。アッ、髪ふくらましてる・・ハイヒール一日中履いていた。ビフォア・アフター・・・住宅ならアフターの方が美しいのだが。
戦後の憧れの夢の住宅、ひばりヶ丘団地はいま取り壊し中。
by oss102
| 2010-11-15 15:07
| 日々のこと
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