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どうも私には信仰が足りない。これも信仰というのかどうか分からないが、占い・風水・星座・血液型などにも関心がない。
またTVネタだが受験シーズンでお守りは持っているかと街頭で聞いていた。大半の人が持っていて、持たないと落ち着かない、必需品ですともいっていた。・・もちろん中には関心がないという若者もいた。
そんな気持ちに乗って商魂もたくましい。お菓子やさんは五角の焼き紋をドラヤキ・まんじゅうなどにつけて五角→ごうかくとゴロ合わせをしている。
不吉なものより吉運をと選ぶのは人の素直な心だろう。私は車にさえお守りをつけていない。印鑑も子供の名前にも姓名判断のようなことはしなかった。
血液型も初めて本を読んだときはなるほどと思ったが、A型だってO型の系統・B型の系統と複雑に交じり合っていてなんともいえない。
どこの世界にも立派な寺院があって、民衆は熱心に祈っている。貧しい地域の人ほど来世を期待して祈る。
神仏に手を合わせないで生きられるのも、飢えない困らない豊かな時代に生きていられるからなのだろう。
動物たちにもこのような信仰のようなものがあるのだろうか。道具を使う・遊び・笑い・言語・・人間のものだけと言われていたのが研究によって打ち消されている。言語はコミュニケーション能力といういう意味でだ。
象など仲間の死への悼み、とむらいの行為があるのは分かっている。神仏に祈るという信仰は遺された人類の砦だろうか。 信仰が希薄な私は動物に近いのかもしれない。
by oss102
| 2011-02-20 13:49
| 日々のこと
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