私は今年の5月に、以下の書類をつくり、娘とそれぞれ、署名捺印
している。
このことは、いつも念頭にあり、具体化しなければと思っていたのだが、この頃読んだ本に
これが載っていた。
幼児でも若くても、とにかくこれは必儒である。車社会でもあり、これがなかったばかりに、無駄な延命措置をされている、尊厳を無視したケースが沢山あると・・・・・・
安らかな 死を 迎えるための 要望書
家族、主治医、そして私のケアに携わるすべての方々へ。
私、 は、清明なる意識の下で、この要望書を作成し、
将来私自身が受ける医療行為に関し自らの判断が下せなくなった
場合、本要望書にしたがって行動が起こされることを望むものである。
私が、精神的あるいは肉体的に回復不可能な状態に陥った場合、
私は主治医に対し、死の過程を長引かせるだけの治療行為を中止し、
私に安らぎを与え、痛みを取り去ることのみに治療を限定することを望みます。
以上の要望は、私の治療拒否の権利に則ったものであります。
故に、家族、医師および私の治療にかかわるすべての人々が、私の
要望にそって行動を起こすことは、法的にも道徳的にも正しいことであり、そうすることで法的責任を追及されることはない。
2005年 月 日
まだ大丈夫だろうでは、遅いのです。 本人の意志が示されることが、大切なのです。