私は小樽に越してきてから、十数年リサイクル店をしていたこと
がある。 女一人で日曜、祭日は必ず休みながらも小さな車で
仕入れもしていたから、店が開いているのは、朝晩と週に3日
ほどだ。 地域がらのせいか、結構なじみの客もついて、電話で
在宅を確かめてから来店する。
品物は札幌のセリ市まで行って仕入れていたが、地元の買い入れ
の電話もかかってくる。
一応品物を見せてもらいに行くが、たいていは行く前から、おおよ
その見当はつく。 無駄足なのだ。
当時の私よりも年配の人の家には、昔の贈答品の山である。
銘々皿、ベークライトの塗り物のお椀、コンポート、花瓶、ベリー
セット。 庶民の家だから、安物ばかりだ。
これらが、部屋一杯に山積みされている。
老婦人宅のは、何十年前に亡くなった夫や父親の背広、喪服、コート。 昔の背広もコートもずっしりと重い。
理由を説明して、丁寧に断るが、自分では捨てられないので、持って行って処分してくれないかと言われる。 お金をつけてもといいかねない顔なので、いただいてきて処分する。
年配者は、若い頃からもったいながりやだ。 間に合うものがあれば、新品に手をつけない。
しまっておく。 そうしてこうなる。
セリ場でも、こうしたものが山と出る。 贈答品の歴史を見る思いである。
もうなにもいらない。 贈答は嫌いである。