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真央ちゃんの感動的なフリーの立ち直りは、どこへいっても良かった良かったの声です。
昨日の読売の一面に、佐藤コーチとのことが載っていました。
亡くなった真央ちゃんのお母さんが何度も頼んで根負けして引き受けた。頑固な浅田とは何度も対立してきた。 自分にしか跳べないトリプルアクセルに人一倍のこだわりを持つ。ただ、失敗したときはダメージが大きい。フリーで2度跳びたいと訴える浅田を、「コーチも妥協する。あなたも妥協しなさい」と説得。
佐藤コーチは1度だけ跳ぶことを認める代わり、2人3脚で磨いてきたトリプルアクセルを含む6種類の3回転ジャンプすべてを見せることを浅田に指示した。「それが君の成長の証しだ」と今大会への意義を説いた。
こんな記事を読んで、あの優しげなおじさんについてちょっと検索してみました。
73歳。 1956~65年まで全日本のチャンピオン。
日本選手権10連覇と優勝回数10回の記録は今も破られていない。
1060年のスコーバレー5輪では、蝶ネクタイをつけたモーニング風。
64年のインスブルックでは、ようやく伸びる生地が使用されるようになり、ズボンが改良された。
それまでは普通のモーニングで滑っていたのですね。窮屈だったでしょうね。
スケートの指導者だった母、スケータだった妻、日本選手権を制覇した娘・・・スケート人生の血が何代も続いています。
by oss102
| 2014-02-23 17:02
| 日々のこと
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