リサイクル屋に向いている人は、いいものを見て育った人、とても物に関心がある人、物が欲しい人、話好きな人。
私はどれもダメだ。こんなガラクタが欲しい人の気持ちがわからないし、どれがいいものか安物かも良くわからない。だから高いものには手が出せない。リスクがこわい。
リサイクル屋はどこでも、お客さんとお喋りができるコーナーがあるものだ。いつどこの店をのぞいても、常連や、同業者らしい2.3人がタムロしている。
客の奥さん連中は、ひまで話し相手をほしがっていたが、私はお茶を出すことも、コーナーも作らなかった。 世間話は苦手である。
客は部屋にあげないでもいいが、友人が不意に来る。ひまそうな商売で、話し相手にえらばれるのだが、電話で予約してくれれば私もその気になるのだが、今日は午前中、あの商品を磨いて、これをしてと心づもりがあるものだ。 水面下の水鳥の足かきのように、小さな店にも仕事がある。客もいないのに断るのもどうかと思い、居間に上げる。午前中の心づもりがパァになる。
よくよく私は、商人に向いていないのだ。
チラシ広告はよく見たし、たまにデパートに行っても、どんなコーナーでも関心を持てた。旅行先でも、商品と値段を見て飽きることがなかった。
当時は、汚いまま、商品保障なしのリサイクル屋が多かったから、どれもきれいに磨きあげ、ワックスもかけ、家電製品も新品なら一年保障だから、3ヶ月保証で、誠実に対応したので、お客はある程度ついた。
売りつけようとしないところいいと、ほめてくれた客もあった。
もっといい品を集める腕があったらとも思ったが、片手間の域を出る気がなかった。
日曜祭日はテニス、スキーで休み、近所で祭りがあれば、酔っ払いが入ってくるのが嫌でシャッターを下ろした。
時が経って、100円ショップでもいいものが出回り、家電もグンと廉くなり、売れない商品を捨てようにも有料になった。
今まで、女性だからと親切にしてもらったセリ場にも女性がふえてきた。女性同士は扱う品物も同じようなものになる。仕入れ値が高くなる。
私の健康で遊べる時間も、残り少なくなった。 大金だと未練があったろうが、小金なので見切りをつけやすかった。
いい社会勉強であった。
おわり。
長い文をお読みいただきまして、ありがとうございました。またなにか思い出しましたら書きますので、よろしく。