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今朝の読売新聞の編集手帳よりの1部分。
鏡はうぬぼれの醸造器であり、自慢の消毒器でもあると、夏目漱石の小説で猫が語っていた。
いくらかは気取って前に立つ洗面所の鏡とは違って、無防備な姿を狙われるせいか、いつもこんなに不機嫌そうな顔で、街をあるいていたのだと、驚くことがある。
老けたなぁと、吐息がもれることもある。
窓の鏡を見るたび、自慢の芽が金輪際生じないよう、完膚なきまでに、滅菌消毒されたような気分になり、年の瀬の地下鉄は妙にほろ苦い。
いつもながらの名文である。
外づらは正直に年齢に添っていくのに、心は年齢に添ってくれない。
瑞々しい若いときの心のままだ。
この誤差が、ウインドウに写る我が姿に、一々愕然とするのだと思う。
自分の姿を見て、一々がっかりするということは、それを離れれば、一々うぬぼれているということだ。 性懲りも無い人間のさがよ。
私は顔に毛の生えた動物になりたい。 できればシッポは長いほうがいい。
ねずみは嫌いじゃ。
by oss102
| 2014-12-30 14:21
| 日々のこと
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