23才と1ヶ月で長女を産んだ。 社宅での夫との二人暮らし。
育児書の新生児の項目をくりかえし読んで、夢中で育てた。
一人の命というものが、これほどの感動をもたらすとは思わなかった。
みんなこんな思いで、命を育てたんだな。
あのきたならしいと思っていたヨボヨボの爺さんも、ズルイと評判の商店のおやじも、生まれたときは、こんなに大切な命だったのだ。
生きていることが、健康でいることが、幸せでいることが、普通のことだと思っていた若い私。
こんなにも、大切な命を預かっていると、恐ろしくてたまらなかった。
この子を失うことを恐れたのだ。
あまりにも大切で、その思いに耐えられず、フトいなくなった方がいいと、心の片隅をよぎったこともあった。いなくなれば、もう失う心配はない。
昔のことで、きょうだいも多く、たくましく育った私世代でも、小さい社宅での一人での育児は、心理的に重かった。 夫は仕事で、帰りも遅く、出張も多い。
孤独で、あまりにも大切なものを、一人の責任で育てなければならない。
昨今の、大切に育てられ、きょうだいともみ合うことも少なく、趣味にお洒落にと自由にしていて結婚し、いざ、マンションの一室で、大事な命をさずかってみると、その重みに耐えられない気持ちもよく分かる。
よく新聞の投稿欄に、「まわりの人は、優しい言葉をかけて」と育児中の母親が投稿しているのを見る。
ベテランの主婦は、甘ったれるなという思いもあるかもしれないが、言葉だけでいいのだ。
「大変ね、よくやっているわね、可愛いこと」ただで済む言葉だ。
不安で一杯の若い母親の心に、どんなにしみこんでいくことだろう。