仔猫時代 今でもず~っと仲良し
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杜の語りで
 昨日の杜のひろばの語りの会では、やはり小樽空襲の話や、戦災を受けた人の話が出た。
まだ、生まれたての人や生まれていなかった世代の人もいる。
戦争体験を語れる年代は、私が最後の世代なのかな。

私と同年の男性は、小学校から国民学校になって、新制中学までが義務教育になったと話した。
そうなの?・・・そして戦後また小学校に変わったのね・・・と60代。

私は藤原ていの「流れる星は生きている」の話を少し話して、次男の藤原正彦が、大人になっても川の傍を歩くときは、腰も膝もくずおれそうになる・・とエッセーで読んだことがある。

3才のとき、引き揚げの河を渡るとき、暴れては母子ともに足をすべらせてしまう。・・ていは、その時、正彦の顔を水に押し付けて気絶させて川を渡ったのだと。

杜の広場の詩に曲がついて、作詞者が指導にいらした。
楽譜が渡されて・・・おたまじゃくしより、だれか大きな声で歌ってくれると覚えやすいのだが。まぁ、ここは声を出すことが第一の目的の場所。

ここのお仲間にあげたサギソウの花が咲いたと、携帯の写真を見せてくれた。
アラ、早いのね・・家のは白い花弁がチラ見えの段階。

 我が家のユリの花、全部切って花瓶へ、サテ何輪あるでしょう。

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by oss102 | 2015-08-07 16:30 | 朗読 | Comments(7)
Commented by souu-3 at 2015-08-07 16:55
70年の節目ですから今年の夏は戦争を嫌でも思い出しますね。
知らない人の方が断然多いのですから語り継ぐべきでしょう。
綺麗な百合、全部切られたのですか?そうする方が良いのでしょうけれど中々思いきれません。
Commented by あきの at 2015-08-07 19:49 x
わたしも閃走関係の番組を録画しています。どんどん観ないと、たまりすぎです。
サギソウ、咲く季節なのですね。ユリの本数「10本」?
Commented by oss102 at 2015-08-08 01:06
souuさん
souuさんも戦争を知らない世代ですよね。
昔話を聞くように、そんなことがあったのだと思うだけですよね。
私が昔の飢饉やロシア戦争のことを聞いたみたいに。
それでもやはり語り継ぐ責任はあるのかな。
百合は手入れもなく咲いてくれます。手折られたりすることもあるので、その前に自分で眺めるためにです。
悲しいですね。
Commented by oss102 at 2015-08-08 01:09
あきのさん
惜しい!!11本です。カサブランカはお盆まで待ってくれません。少し早く咲いてしまいますね。お盆に合わせてくれないかなぁ。 もうサギソウです。夏が終わっちゃいます。
Commented by orientexp at 2015-08-08 07:04
顔を水につけて気絶させる、すごい!!
恐ろしくて出来ないです。
私も「10本」だと思った。残念賞は??
(ログインしているとHNが出ないのよね、sakura)
Commented by oss102 at 2015-08-08 09:56
sakuraさん
赤子を負ぶって、脇に気絶させた3才を抱えて、腰までの川を渡ります。凄絶な場面がこれでもか・・と。人間の力ってすごいですね。
HNってホームネーム??
Commented by souu-3 at 2015-08-08 10:32
小2で終戦でした。祖父母は戦火の中を逃げました。只、その時、私は疎開先で真っ赤な大阪の空を見ただけで「戦争体験者です」なんてエラそうなことは言えないのですが生まれた家は丸焼けになり 後で焼け跡から地中に埋めてあったお茶碗などを掘り返しに行ったことは記憶にあります。
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