犬猫が好きというと人は、「やさしいのね」と言う。
だが、私に一番欠けているのは、やさしさではないかと思う。
好きでなくても、やさしく出来なければやさしいとは言えない。
ねこが好きだって、今捨てられて、飢えている猫がいても、もう拾って助けてあげられない。
2匹で限界、見捨てるしかない。
やさしい心が無いと自覚しているから、災害地への寄付金などには、寄付はすることにしている。こういうのは努力すれば出来る。
だが、とっさのやさしさの発露は出来ないだろう。
やさしさの発露は、結構時間とか、お金とか、体力を奪う場合が多い。はっきり相手が困っていて「助けて」といってきた場合は助けてあげられるが、こちらから想像して手を指しのべるのは難しい。
苦労人は、やさしいという。自分の辛かったことを、人の身に置き換えられるからだろう。
私は苦労なしの人生だったから、やさしくなれないなんて、言い訳にもならない。
やさしい老人になりたい。でも利用される老人にはなりたくない。
賢明なやさしさってどういうのだろう。 心の中に努力して作れるものだろうか。 迷うばかりだ。
100円ショップで飾り物を買ってきて、元旦の写真用に、ねこたちと「やらせ」のご挨拶写真を撮ろうとしたのですが、結果はご覧のとおり。動物写真は難しい。
ブログは、今や私の喜びの生活の一部になりました。今年もよろしく私のおしゃべりにお付き合いくださいませ。
今年は年女、老犬ながら頑張るぞ!! わんわん にゃ~~~