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昨日のカメラばあちゃんの本を読んでいたら、色々なことを思い出した。
私の最初の文学書との出会いは、アンドレ・ジッドの狭き門でした。
新制中学の1年生になったばかり・・それまでは吉屋信子や円地文子の少女小説ばかりでした。
次姉が読んでいた本に手をのばしてみました。 大人へのあこがれです。
そんな私に長兄は、「そんなもの読んでわかるのか?」と言いました。
子供というのは、わかるところだけわかって読むのです。
「ふん!!」と憤慨した気持ちを、いまでも思い出すことができるのです。
このカメラばあちゃんは、19才で親に結婚を強いられ、兄の住む満州まで数ヶ月逃げていきます。そのとき、教員をしていた兄が出迎えるのに、60人も教員仲間がゾロゾロと連いて来たというのです。 本土の若い娘の顔を見たかったのです。
当時の満州には日本の若い娘は極端に少なかったのでしょう。
「美人だったらよかったのに・・」と本人が言ってます。美人でなくても19才。キラキラと美しく見えたことでしょうね。
性的には無知で、夫から逃げ回って怒らせてしまったのですが、男子を3人授かり、夫に戦死されて、ホーソンの緋文字など読むと、「申し訳なかったなぁ・・」と。
この時期、国は電力を求めて次々と村を湖底に沈めていきます。
ちょうど原発を次々大義名分のために作って行ったように・・・その恩恵を私たちは享受しているのを忘れてはいけない。と思いました。
by oss102
| 2016-07-03 15:41
| 本
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