12日、ルスツスキー場からの帰り道のことであった。
一泊旅行の満足と疲労を積んで、私たち4人の乗った車は走っていた。運転席の後ろに私はいた。
天候は悪くなり風も強く、3時過ぎ、先を行く仲間のくるまが雪煙で見えないほどであった。
スキー場への道は除雪もチャンと出来ていたが、切り立った雪壁と道路の接点は直角にはならない。削り取った道路の固い雪が、どうしても4,50センチ程は屑のように路肩に残っている。その分道幅は狭くなっている。
それでも冷えている路面は、そんなに滑る路面ではないから、60キロくらいは出していたと思う。
ゆるやかなカーブを曲がり切ったとき、対向車線にライトをつけた乗用車が5台ほど、そして先頭の車と並んで、中型のブルーのコンテナ車のライトが正面にせまっていた。
危ない!!ハンドルを切った私たちの車のフロントガラスに、路肩のかたい屑雪がバーッと激しくぶつかって一瞬なにも見えなくなった。
5台ほど連なっていたことを考えれば、先頭の車は視界不良でゆっくり運転していたのだろう。道路に慣れた、おそらくはスキー場への業者のコンテナ車は、追い越しをかけていたのだろう。のろのろ運転しやがってと不遜な気持ちだったのではないか。
本当に危機一髪のことだった。
私が運転していたら、おそらくハンドルを切り過ぎて、雪壁に激突して、反動で対向車のどれかに激突していたにちがいない。
そうして、事故の原因となったコンテナ車はすり抜けて行ったにちがいない。
あのままコンテナ車の下に巻き込まれたら、運転者は即死。後部座席の私は死か、病院で管だらけになっていたか。
こうして事故というものは起き、残された家族は生涯癒えぬ悲しみを抱き続け、事故原因となった運転者は、僅かの刑期で日常を取り戻すのだろう。
4人は散々あのコンテナ車の運転手を呪ったが、車をUターンさせて追いかけて問い詰めることもなく、ヒヤッとしたときにはもう100メートルも走っていたのだった。車というのもはそういうものだ。 そんな大惨事をすり抜けてみれば、変わらぬ日常がある。
テレビのニュースのとき、娘に今頃はあれに名前が出ていたよと笑っているのだ。
思い残すことは無いから、寝込まずにコロリと死にたいと言っている私。
絶好のチャンスを逸したか。