今朝もTVで富山の事件を取り上げていた。
腹が立つのは、当の外科医の自宅玄関に押しかけ、インターホン越しにインタビューを試みていることだった。
「この時点では何も申し上げられません」と応答し、その後何時間も待機していたのだろう外出の外科医をとらえて(ボカシ画面)を入れながら、なおもしつこく「家族の了解は取ったのですか」とマイクを向けている。
こんな場面でなにを言わせようとしているのか。いいコメントなんか取れないのを承知でスタジオの番組のバックに使っているのだ。
そしてまことしやかに有志をならべて、賛成か反対を言わせている。
こういう議論をするのはいい。だがこの議論の前に何故、あの外科医を追いかけなくてはならなかったのか。
無意味な問答になるのは分かりきっているのに。 本当に腹が立つ。
法的な基準というのは難しい。時間もかかるのは分かる。
なにせハンセン病のときだって、何十年もかかった国である。
昔からこうしたことは、医師の裁量であったことだ。
今は医療器具の進歩で、やたら心臓だけが動かされて、死への道が遠くなっている。
法整備の間にも人は死んでいく。
医師の応用編があってもいいと私は確信している。
日本には黙契という素晴らしい言葉があるではないか。
今年初めての我が家の花である。まだ冷たい風が吹くのでしっかりとは開かない。
いとしい花よ。ようこそ。