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昭和20年8月、私は樺太の豊原市の小学校5年生でした。
小2で札幌から父親の仕事の都合で豊原へ越してきました。その当時札幌はかなり食糧事情も逼迫していたのか、母は「ここは果物もお魚も行列しなくても買える」と感激していたのを覚えています。 でもそれは束の間のことのようでした。母は近所の人たちと遠くへ畑を借り、作物を作りに行くようになりました。 どのくらいの距離だったのか、子供心に遠い遠い道を歩いていったのでした。 そこでコクワという実の味を覚えました。お米を入れるおひつに固い実を入れて、熟成させて甘い実を食べました。 熊の好物だから、コクワのあるところには熊が出ると驚かされました。 豊原はナナカマドと白樺の多い美しい街でした。 台風とか、吹雪になる前の日には、木が真っ黒になるくらいカラスが止まって、ガァガァ鳴き騒ぐのでした。 そのうるさい予告は必ず当たるのでした。 父は当時建設会社の現場監督のような仕事をしていたらしく、ほとんど不在でした。 母は、大きなフキを採ってきて、暑い盛りに大きな鍋で茹で、皮をむき、外に干して保存食を作っていました。 ご飯には沢山の大豆が入り、炊き上がったお釜の上部は一面大豆の黄色で占められていました。 つづく
by oss102
| 2006-08-01 21:24
| 日々のこと
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Comments(12)
Ossさんには戦後生まれの私にはない思い出があるのですね。ゆっくりかたってくださいね。
北海道の蕗は大きくて、いたるところに見られました。
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tmshanagn304 at 2006-08-01 22:47
物心着いた頃、戦争なんてず〜と昔のことのように思っていましたが、昭和20年代の渾沌とした中で育ったんだとこの頃になって思います。
それにしてもあの戦争はもう少し早く止めていたら原爆、北方領土、残留孤児はなかったと思うのです。
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あきの
at 2006-08-02 06:19
x
Ossさんとわたしは一つ違いです。わたしは終戦時、国民学校の6年生でした。この話ですぐに感じたのは、米びつにたくさん米があるなあ、です。
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hanairomimi201 at 2006-08-02 08:34
戦後何年・・という言葉自体が死語になっていしまいそうな昨今です。私の母も疎開(四国)から大阪に帰って、物のない時代に5人もの子供を育てた苦労は並大抵ではなかったろう思います。
最近母が書き残していた日記を読んで胸が熱くなったところでした。 戦争は悲惨だ・・分っているのに、今も世界のどこかで戦火が・人間ってどうしてこうも・・と思います。 続き教えてください。
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jyonko7 at 2006-08-02 18:16
私の母も樺太に住んでいて、終戦の時は大変な思いをしたと聞きました。oss102さんは小学5年生でスゴイ記憶力ですね、エッセーを拝見して亡き母を思い出しました。続きを楽しみにしていま~す。
たしかに北海道の蕗は大きいですよね。バスの窓から先ずいちばんに目につきました。あの蕗を乾燥して保存食に??あの頃は食べられる物は何でも食べました。私もマムシ、シマヘビを焼いて食べさせられました。。
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oss102 at 2006-08-02 20:11
chiyomiさん、昔の歴史の話のようですが、私には現実にあったことです。なんでも風化してしまって記憶もオボロですが、つまんないことを覚えていたりします。お付き合いくださいね。
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oss102 at 2006-08-02 20:15
304さん、今になって物の無い時代を知っていることは財産でもあると思います。指揮をする人によって、沢山のムダ死にが出ました。いつの世も賢いリーダーを求めますが、どうしたらそれが私たちに分かるのでしょうか。
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oss102 at 2006-08-02 20:17
あきのさん、あの時代に親たちは大豆だらけでも、とにかくお弁当を5人の子に持たせてくれました。有難い事だったと今になってつくづく感謝しています。大分遅いのですが。
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oss102 at 2006-08-02 20:21
hanairomimiさん、お母さんの残した日記の1部でも、ブログに載せてください。子供達に食べさせる苦労は大変なものであったと思います。
豊かになってその苦労が無くなった分、どう教育していくか、選べるだけ又難しさがあるのかもしれません。
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oss102 at 2006-08-02 20:25
jyonkoさん、ところどころのうすボンヤリの記憶です。jyonkoさんのお母様も樺太だったのですね。あの時引き揚げてこれなかったら、家庭にロシアの人たちの物盗り、陵辱、大変なものがあったと聞いています。
ラッキーでした。
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oss102 at 2006-08-02 20:30
こじまさん、結局干したフキは置いてきて食べませんでした。残留孤児にならなくて良かったとおもいます。樺太のフキも大きいものでした。母は一人で車もなしにどうして運んだのでしょう。
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