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お釜の上一面の大豆ご飯。
底の方は少し白いご飯が多い。母の手助けをする長女は、私たちのお弁当も作ってくれたが、自分用には、底のほうのご飯を詰めた。「オネェチャンはずるい」と恨めしく思ったことを、未だに覚えているのだから、まこと食い物のうらみは深い。 終戦の放送があったとき、皆ラジオの前で泣いたり、終わったと言っていたが、私とすぐ上の兄は何を言っているのか分からず、こっそり笑い合っていた。 終戦直後、軍人でもあった父は、どこをどう手配したのかすぐに引き揚げとなった。 18才以上の男は残り、老人と婦女子が本州への引き揚げが可能であった。 父と兄は残り、母と姉妹4人は大泊から引き揚げ船に乗った。貨物船の船底にすし詰めされた私たちは全員船酔いに苦しんだ。 私たちの乗った貨物船の前後の引き揚げ船は、ロシアの襲撃を受けて沈没したことを、後になって知った。 母は引き揚げのとき、当時超貴重品であった砂糖入りのオニギリを作った。だがそれは全然美味しくなかった。 稚内港に着いて、配給された塩味のオニギリこそが、最高の美味であった。カンパンも美味しかった。 私たちは稚内の小学校の体育館に泊まった。 難民そのものであった。
by oss102
| 2006-08-02 20:06
| 日々のこと
|
Comments(16)
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あきの
at 2006-08-02 22:08
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今日の話は8月にふさわしい、重たくて、いい話ですね。
わたしのやっていたザ、ミズという自分史出版の会社で出した「海上闊歩」椎名実氏は書いています。終戦をオホーツクの上で知る。それきり連絡が入らないので、とにかく稚内まで引き上げたと。そこですぐに、樺太の引き上げに携わったと。片道8時間。女子どもを先に乗せて運んだと書いています。この人はキスカ島にいて、海軍の名作戦で自身が救出されてもいます。Ossさんが、この人たちの船で帰国できたと考えると、何だか感慨深いものがあります。
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Ossさんたちの乗られた船の前後の船はロシアの襲撃を受け沈没したとありますが、戦争が終わっていたのにロシアは攻撃したのですね。問題にはならなかったのでしょうか?負けた国は何も言えなかったのですか?
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tmshanagn304 at 2006-08-02 22:45
ソ連は汚い、シベリヤへ連れて行かれた人達は今でも怒っています。それが今日の日本人のロシアへの感情のベースになっているように思います。
砂糖入りのおにぎりとは、お母さんも考えましたね。子供達に甘いものを食べさせたかったのでしょうね?。あきのさんのコメントの椎名実氏が自分史に書かれている話と、女子供を乗せて稚内まで運んだ・・この船に乗っていたのは、OSSさん家族も、もしやこの船ではなかったのでは・・と思いました。ラッキーでしたね。。
8月らしく・・・・大切なお話ですね。。今の子供たちに 一つ一つ 噛み砕いて・・・話したい・・お話ですね・・・今のこの命・・感謝し、大切にしますね・・・
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mutizo at 2006-08-03 08:39
お砂糖で、亡き父を思い出しました。
昭和3年生まれで、あの放送は父も学校で聞き、何を言っているのか分からなかったそうです。 でも、甘い物が大好きな父は、それはそれは 甘いきな粉と砂糖が大好きで、これをかけてご飯を食べられる程でした。 きっと昔食べられなかった反動だと思います。 あんこも大好きでした。 逆に 麦ご飯は大嫌いで母が健康にいいのに、と言っても食べませんでした。これも子供の頃の影響でしょうね。 以前庭でサツマイモを植えた時に、くきばかりが茂ってしまい、母がこれを食べると良いのよ、と言ったけど父は戦中、戦後の食べ物の無いときに食べた事を思い出すといって、嫌がりました。 でも、これ以上の父の戦争中の話はしりません。 あまりそういった事を、はなす人ではなかったので・・・・。 でも今では、もっと色々聞いておけば良かったと思います。 なので、ossさんのお話は、ほんとに父や母からの話を聞いている気になります。 これからも、機会があればどんどん、子供時代のお話を聞かせてくださいね。
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hanairomimi201 at 2006-08-03 09:36
終戦のラジオ放送を聴いて正直なところ「これで終われる、非国民かもしれないがそう思った・」・と母は書いています。
私は次女ですから「また女か・・」と近所から言われたらしいですが、母はこのまま戦争が続けば戦地にやらなくてすむとも思ったそうです。 母心です・・。
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清子
at 2006-08-03 16:02
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大変な経験をされたんですね。白いご飯貴重でした。
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oss102 at 2006-08-03 16:40
あきのさん、椎名実氏たちのお蔭で私の家族は、そう悲惨な目にもあわずに帰ってこられたのですね。有難い事でした。みんな紙一重の運命の中で生き延びてきたと思えば、いまの平安に感謝します。
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oss102 at 2006-08-03 16:42
chiyomiさん、私も子供だったので詳しい事は分かりませんが、戦争が終わってからも、無体なことが沢山あったようです。日本にはもう抗議する力も無かったのでしょう。
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oss102 at 2006-08-03 16:45
304さん、日本もひどかったけれど、今の北朝鮮のようにロシアもひどかったのですね。戦後のドサクサは満州も樺太も一緒と聞きました。
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oss102 at 2006-08-03 16:47
こじまさん、砂糖入りのオニギリはまずいですよ。上にアンコがのっていてそれが甘いのならいいのですが。それでも疲れてボロボロのときはやはり塩味が一番でした。
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oss102 at 2006-08-03 16:51
ふくママさん、運命はどこでどうなるのか分かりません。今ある命に感謝です。戦争はイヤと叫んでも、縄文時代の昔から戦争はありました。武器が石器から核に変わっても人間は愚かなままです。
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oss102 at 2006-08-03 16:58
mituzoさん、そうなのですよ。食料難の恨みがあって、我々世代はしばらく芋、玄米、南瓜などは拒否する感覚が残りました。女は比較的短絡思考ですので、そのうち恨みも忘れて食べ始めましたが、男は頑固に出来ているので恨みが長かったのでしょう。
お父様も芋ずいきなど死んでも食うか!のお気持ちだったと思います。 昔話などすると若い人に嫌われますが、ブログのネタに困りとりあげました(笑) 昔話でよければなが~~く生きていますので、その分材料がたっぷりあります。調子にのって書きますのでよろしくね。
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oss102 at 2006-08-03 17:01
hanairomimiさん、女を産むと昔は肩身が狭かったです。今は女の方が喜ばれます。時代が変わりました。私たちはいい時代に生まれてきたと思いませんか。
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oss102 at 2006-08-03 17:05
清子さんは戦後の食べ物に困った経験はないのですね。お母様が経験者ですね。私は子供でしたから、お腹を空かせた辛さは知っていますが、お腹を空かせた子に充分食べさせてやれない親の辛さは経験していません。いま考えてみるとどんなに大変だったかと思います。
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