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トマトは沢山食べたが、主食はじゃがいも、南瓜、トーキビばかり。澱粉カスも食べた。
漁村だから魚は食べられそうなものだが、全国的に食糧難の時代だったから、高価だったのだろう。 たまのいか鍋はご馳走であった。暑い盛りに蒔きストーブを囲み、輪切りにした獲れたてのいかとハラを、ゴボー、白菜などと鍋にして食べる。 美味しかった。 いか漁の時期は農繁期のときのように、学校は休みになった。 汁ばっかりの雑炊、炊とん、トーキビを乾燥させて砕いて、澱粉をつなぎにしてのダンゴ汁の登場も多かった。 いずれも熱くて汗が吹き出た。 学校で1・2・の3でギュッと握っていた手を開く。誰の手が一番黄色いか競うのだ。 南瓜ばかり食べているので、皆な手が黄色くなっている。 そんな暮らしの中で、頭に膝に吹き出物が噴出した。汁、膿と流れて悲惨な頭になり、とうとう医者に丸坊主にされた。 ベタベタ白い塗り薬をつけられ、大きな三角巾で頭を覆われた。 ガンベタカリである。 暫くしてようやくオデキの方は治っても坊主頭である。恥ずかしくて三角巾をかぶり続ける。 そのうち又オデキが噴出する。といった具合だった。 きょうだいはなんでもないのに、私だけだったのは成長期で、まだ体が出来ていなかったためだろう。 栄養障害である。 何処に出るにも上を見られない。人の視線を避けて、うつむいて顔を伏せて歩いた。 暗い少女期
by oss102
| 2006-08-04 20:52
| 日々のこと
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Comments(14)
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tmshanagn304 at 2006-08-04 23:05
ガンベタカリとは初めて聞きました。ウチの弟はたいどくで汚い顔をしていました。それとは別のものでしょうか。「戦後」でしたね。
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hanairomimi201 at 2006-08-05 08:34
戦争を知っているのか、知らないのか・と言えば、ちょうど境目の年代に私はいたようです。
確かに生存はしていたが記憶としてはあまり残っていないのです。記憶がところどころ「点」で繋がっているのようなかんじです。 姉はあの頃「道を歩く時は下を見て歩いた。おかぁちゃんの助けになるものを拾って持って帰りたかった・」など言ってました。 学校から「明日風呂敷を持って登校するように」と言われ「なにかいいものでもくれるのか・・」と期待して登校するとシラミ退治の「DDT」を噴霧されて、真っ白になった頭をその風呂敷で覆ってかえったという笑い話のような話です・・。 (今では「DDTなんていう薬は毒なのに・・ですね) 「カンベタカリ」とは関西でいう「頭にできたクサ(おでき)」というものでしょうね。 こうして拝見していると、ただただ、みんなその日その日を逞しく生きていたのですね。 あらためて母に感謝します。 「暗い少女期」を抜けてOSSさんのそれからは・どうなっていくのでしょう。
治療のためと言っても、女の子やものきずつきますね。できものができることに傷つき、そのうえ髪の毛を丸坊主にされ、うつむいて歩いた少女時代のOssさんがいじらしいです。
とまとのにおい・・・私もこの“におい”があるからトマトだと思っています。
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あきの
at 2006-08-05 13:46
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笑っちゃいけないけれど、笑えちゃいます。実際のOssさんの子ども時代を頭のなかで描いてみるので、いじらしいのです。そしてそのときの気持を想像すると、つい笑えちゃうのです。もうしわけない。ペコリ。
わが家も父が7月下旬、42歳で召集されました。すぐ前線基地となる宮崎へ。まもなく終戦。帰省したものの、疥癬がものすごくて歩けません。人力車で医者通いしました。
辛い少女時代でしたね。私も妹を学校に連れて行かされました。酷い時代でした。そんな時代を今なぜか、なつかしく思うのです。。
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清子
at 2006-08-05 16:33
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やっぱり栄養が足りなかったんですね。私もお尻,足におできができてからかわれました。
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oss102 at 2006-08-05 17:15
304さん、ガンベとはデキモノののことです。それが一杯なので、ハエがたかるというように、ガンベタカリとなるのです。これは北海道の方言でしょうね。中々辛かったのであります。
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oss102 at 2006-08-05 17:18
hanairomimiさん、そうです。DDTを頭や背中に入れられました。今なら裁判ものですが、おかげでシラミから解放されました。今の小学生にもシラミが出現したようです。今度はどうやって退治するのかしら。
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oss102 at 2006-08-05 17:21
chiyomiさんのコメントを読んで、いじらしい少女に同情していただいて嬉しく思っているとき、あきのさんのコメントを読みました。こちらは笑っています。どうしてくれよう。(笑)
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oss102 at 2006-08-05 17:23
あきのさん、よくぞ笑ってくださいました。今の私とイメージがつながりませんか。北朝鮮の人たちもたくましいと思っていたけど、私たちも結構たくましく生きて来ました。
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oss102 at 2006-08-05 17:26
こじまさん、一番の親友は戦友だといいます。辛い中を生死をかけて生きたからです。年寄りが昔話に花が咲くのも、一種の戦友意識です。
空腹時代に恨みはあれど、懐かしや・・・
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oss102 at 2006-08-05 17:29
昔の子は大勢いると必ず、しらくも、青洟、ハゲ沢山いましたね。ハゲは怪我ですが、後は栄養不足です。あんな辛い経験がなかったら、私はもっと跳ね返りのいい気な女になっていたかも知りません。苦労はしておけですが、やっぱり辛かったなぁ。
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オノマ@バンクーバー
at 2019-08-25 01:54
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おでき、しらくも・・・あたりまえの風景でした。左手、なかゆびとくすりゆびの間くらいにできたイボが恥ずかしかったのを思い出しました。さんざ悩んだ末、イボコロリという薬を塗ったところ暫くしてほんとうにコロリという感じでとれた時はホッとしました。忘れられないのはしもやけ、あかぎれのかゆさ、いたさです。赤く腫れた指の色とつや。そのころの後遺症でしょうか、我がかかとは固く、たくさん切れ目があります。
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oss102 at 2019-08-25 10:29
オノマ&バンクーバー7さん
そうですね。徹子さんも初代林三平のおくさんの海老名香葉子も、やはりオデキが出来たといいました。同世代です。 オトメ心が傷つきました。(^^) イボも大きなのが足の親指のところにできて、そのころ下駄などはいていましたから、恥ずかしかったです。 ある日、イボがとれるという磯辺にいったら、ポロポロとくだけてはがれました。イボコロリと同成分がその磯にはあったのでしょうか? 今は、オデキのある子も、シラクモ頭もみかけなくなりましたね。
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