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小学校2・3年のお正月のころだったでしょうか。
父は現場監督で長く不在のあと、沢山のお土産をもって帰ってきました。 いつも母と寝ていた私は、「父さんと寝よう」と抱きかかえられて、父の布団に拉致されたことがありました。 私は「イヤだ、母さんと寝る!」といって父の手をふりほどいて、母の布団に入りました。 父はちょっと淋しそうな顔をして「Y子はかぁさん子だな」といった顔をいまだに思い出すのです。 あと10分でも我慢すればよかったのに・・・と思うのですがあとの祭りです。 父は家に人を寄せるのが好きでした。 お正月のかるた会でも多勢の若者が集まりました。 近所に独り暮らしの若者がいれば、淋しいだろうと大晦日から呼び寄せました。 お酒で赤くなった顔で「みんな元気でありがたいなぁ、天皇陛下でもこんないい正月は味わっていないだろう」といつもの天皇陛下優位論です。 戦後田舎の家はいつも俳句の会の宿でした。 私は真っ暗な物置に置かれている鰊漬けを出しにいきます。ねずみも出ます。 桶に熱いお湯を入れて、出刃包丁と入れ物をもっていきます。 ローソクだったか懐中電灯だったかは忘れました。 大きな樽の重石を下ろし、出刃で氷を割って中の鰊漬けを取り出します。手がしびれるようです。 熱いお湯に手を入れ温めてからまた手を入れます。 山盛りの鰊漬けやタクワンを肴に、母の作ったドブロクを飲みながらの運座です。 俳句では父よりも母のほうがいつも上位を占めていました。 山の方の農家出身なので、なんでも手作りしました。 戦後靴下の継ぎ当てなどは、近所では電球をいれてつくろっていましたが、父は足の木型を幾つも作ってくれました。 樺太では学校の窓は全部2重窓、教室のスチームの上に戸袋があり、そこにみんなのお弁当をいれておきます。 皆は新聞紙に包んだり、弁当袋に入れて持ってきましたが、父は綿入れのお弁当袋を作ってくれました。 いつもほかほかのお弁当を食べていました。 母は父に絶対さからいませんでした。夫婦喧嘩は見たことがありませんから、母はよほど我慢をしていたことでしょう。 「嫌な事でも、違うと思うことを言っても、そのときはハイハイと言っておいて、後でゆっくり自分の思うとおりにすればいい」と常々私たち娘に言い聞かせていました。 つづく
by oss102
| 2007-01-06 17:08
| 日々のこと
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Comments(15)
素晴らしい父母のもとで育てられましたね。「嫌な事でも、違うと思うことを云っても、そのときはハイハイと言っておいて、後でゆっくり自分の思う通りにすればいい」明治の人の教育ですね。このような教育は現在にのこすべし・・と思います。因みに私も夫の云うことは、違うと思っても「ハイハイ」聞いて、後で自分の思う通りにしています。
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あきの
at 2007-01-06 17:45
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わたしも寒い信州育ちだから、どんぶりに盛っても、なお野沢菜漬けの氷がガリガリいうのを食べるのが好きでした。
綿入れの袋とは、今風の保温袋ですよね。こうした生活の知恵も、みんなで集まってわいわいやることの楽しさも、すっかりなくなってしまい、それといっしょに人情も消えましたね。
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hanairomimi201 at 2007-01-06 21:03
>「何でもハイハイと言っておいて 後で・・」
・・ズキッ!!チョッと胸に堪えたかもしれない・です(>_<)。 母も父に逆らってはいなかったのに、そこんとこ忘れがちでした(反省)。 私はきょうだい5人の上から二番目です・・父に布団に引っぱりこまれた記憶はありません。 下の子なんて生まれてこなければヨカッタのにと思ったことはありました。 今ミミを布団に引っ張り込んでおります。
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となりのとまと
at 2007-01-06 23:13
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ファザコンの私は、結構大きくなるまで父の布団にもぐり込んでいました。夜中に酔ってお土産の鮨の折り詰めを持って帰ってくると、寝ている子供を起こして食べさせてくれました。私は二人の兄とは歳が離れていて 最後に生まれた一人娘でしたから、父の可愛がりようは有名でした(あきのさんのところにコメントで紹介しました)。たくさん、たくさん愛情をくれて サッサと逝ってしまいました。
Ossさんの話は知らない事ばかりで とても楽しいです。つづきを楽しみにしています。
最後の「嫌と思っても、違うと思う事を言っても・・・」と言うお母さんの言葉、mimi201さんと同じ気持ちです。
そうできる、こじまさんがうらやましい。 文句を言いながらも、やってしまう自分がもっとなさけない・・・です。
ちよみさん、こじまの場合ハイハイ(??)にはジョークが、混入しています。(^。^)
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mitsuko_beauty at 2007-01-07 12:43
私と母 兄と父 姉達は隣の部屋で皆 一枚の布団に2人づつ寝てました まさに川の字だった 母は00ちゃん場所変えてと 父の隣に寝かされた意味が分からず 大人になって納得しました 父も若かったのでしょう 母は嫌がってたようです、、、、狭いながらも楽しい我が家♬ あんな狭くても昔は子沢山でしたね
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oss102 at 2007-01-07 16:20
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oss102 at 2007-01-07 16:23
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oss102 at 2007-01-07 16:27
hanairomimiさん
2番目はなにかと不利でしたね。でも2番目が一番賢く育つのです。 私もこういう両親に育てられながら、いつも謀反を考えていました。ミミちゃんは拉致されても逃げ出さないでしょう。いいアンカです。
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oss102 at 2007-01-07 16:32
となりのとまとさんとはひと時代違っていますし、貧しい家のことですから、知らないこともでてくるでしょう?
夜中のお鮨土産は、夫が子供たちにやりましたよ。せっかく寝静まっているのに、起こして食べさせるのです。寝ぼけながらお鮨を食べてる子供達の顔を思い出しました。
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oss102 at 2007-01-07 16:36
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oss102 at 2007-01-07 16:45
chiyomiさん
時代が違います。それに母はコマツ母さんが仕事ばかりしていたので母の祖母に育てられたのです。だからもっと昔風です。 私も夫にこういう風に仕えていたら、夫は幸せだったろうと思いますよ。 全然ちゃう(^^)
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oss102 at 2007-01-07 16:50
mitsukoさmm
私も少し大きくなってからは、姉と寝ました。10畳間で全員一緒に寝ていました。天井裏ではネズミが騒いでいました。 母は父と並んで寝ていました。夜中にあらい息遣いが聞こえても訳も分からないながら、なんだか起きるのが悪い気がして寝た振りをしていました。(*^_^*)
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