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以前タフな夫婦で書きましたが、その後図書館に行って、すでに読んだ3冊の本を除いて、どんな本があるかを調べてもらいました。
そうして奥の部屋から出してきてくれたのがこの3冊です。あまり古い本は書架には並べないのですね。 みんな20年以上も前に出した本ですが、私はこうした田園生活を読むのが好きです。 そうして、やっぱりこの夫婦の考え方がいい、と改めて思いました。 今までにも何度も書きましたが、動物の死についての考え方です。 全く同じ主旨なのですが、改めてここに書きますね。 文章を短くするために、少し抜かしたところもあります。 羊は冬の間に子供を産むが、子供達のうちはほとんどのオスは次の冬ころに肉になる。 可愛い羊の子供を見る人に、次の冬には肉にして食べるというと、なんと残酷なと驚いた反応をする。 可愛がって育てることと食べてしまうことは矛盾しないのである。 それよりもっといけないのは、経済動物だということで動物に冷淡になることだ。 淡々として冷静かつ客観的に動物を飼う事がプロの酪農家だという風習がある。 動物は飼う以上は愛さなければならない。 動物に名前をつけて可愛がって育てるのがアマチュアの方法だとは思わない。 可愛がる事としつけは矛盾しないし、可愛がる事と食べてしまうこととも矛盾しない。 肉としてぼくたちの生活を与えてくれる動物を、できる限りいい状態で育てていこうと思うのだ。 土と畑についても全く同じことだと思う。 妻の字土巻子も同様のことを別の章で書いている。 先日この二人の暮らしがテレビでとり上げられていた。 この本を書いた頃はまだ幼稚園児だった二人の子供は、もう大学の医学生になっていた。 すごく格好いい二人の姿と暮らしであった。
by oss102
| 2008-09-14 14:47
| 日々のこと
|
Comments(14)
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あきの
at 2008-09-14 22:57
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前に話したことのある人たちですね。わたしも一冊だけ読んだような気がする小樽郊外に暮らす若夫婦のお話だと思います。
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ririhallo at 2008-09-14 22:59
こんばんわ!! そうですよね~~ 私はおばあちゃんっ子ですが・・・「いただきます」の意味をくどいくらい とかれたのです・・・動物のお肉をいただくのだから・・感謝して、いただきます。
苦労して大海原に出て、命を懸けてお魚を取るのだか・・感謝して、いただきます。 お米だって、野菜だって・・自分が作ってもおてんとう様がいらしゃるから・・・できるんだから・・感謝 いただきます。 ありがたや!ありがたや! お念仏みたいに・・・聞かされました。 ありがとうばあちゃん!! ってやっと わかるようになりました。。遅すぎますが・・・・
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hanairomimi201 at 2008-09-15 08:32
食育・ということが盛んに言われていますが、そういうことを教えていかなければならないですね。
だいじに育てた命あるものを感謝して頂く・そうすれば好き嫌いもいえませんね。
子供の頃は豚を飼っていて大きくなると売っていたのを経験して育ったのに見ると食べられない軟弱なばあちゃんになってしまいました。
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oss102 at 2008-09-15 16:17
あきのさん
今は熟年夫婦になってますが、若い集団をまとめてこれだけの暮らしを作るのは、強い意志と力がなければ出来ませんね。
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oss102 at 2008-09-15 16:20
ririhalloさん
今はいただきます・・ってすぐ食べますが、昔は手を合わせていただきます・・でした。コメ1粒もムダにしてはいけないと折節にいわれましたね。オバアチャンの存在はそういう教育では力があります。 私もオバアチャンになって初めて実感することが多いのですから。
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oss102 at 2008-09-15 16:22
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oss102 at 2008-09-15 16:26
hanairomimiさん
私が子育てしていた頃、そういう精神を事あるごとに子供達に言っていたかな・・と思うと十分ではありませんでした。 この年になって世の中の物のめぐりや仕組みなどが漸く少しわかって、もっとこうするべきだった・・と色々思います。 ririhalloさんのコメント読んで、祖父母の存在は貴重なものだと思いますね。私の年では曾祖母になりますが・・・
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oss102 at 2008-09-15 16:29
kiyokoさん
黙っていたら食べられなくなりますよね。そのときに命をいただいて 命をつなぐ、という意識した教えが必要になります。 私も目の前で殺した豚や牛に動じない精神はありませんが、基本の心は感謝と愛の精神だと思います。
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まり
at 2008-09-15 16:36
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子供の頃、鶏をたくさん飼っていて 卵を産まなくなった鶏は潰してもらって腸も肝も大小幾つもの卵も全部食べました。それはそれはご馳走でした。振り返ってみればヤギの乳を飲み、野菜も果物もいつも身の回りにあふれ、ひもじい思いは一度も経験したことがありませんでした。幸せだったのだと思っています。最近になって すこ~し お肉を買うときに複雑な気持になります。食品偽装の数々にも怒っています。・・が そうしなければ生き残れないような世の中になってきていることを かなしくも思っています。
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fuchan_k at 2008-09-15 20:10
育てて食べる・・・昔なら普通のことでしたね。
私の実家でも↑の方と同じで、ニワトリなど潰しました。 子供だった私は残念ながら、父がさばくニワトリもウナギも 可哀想で食べることが出来ませんでした。 大人になると「有り難く頂く」という意味が理解できますね。
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oss102 at 2008-09-15 20:35
まりさん
大小つながった卵、食べました。戦後父は木の株に鶏を乗せてナタで首を落としました。鶏は5メートル近くも飛び上がりました。首のない姿で・・・そうしたことはは初めて見たのですが・・・命をいただくということはこういうことなのだと、ず~~と後になって分りました。 だから子供達にそれを伝えたかというと、云ったことはありませんでした。話しておくべきだったと今ごろになって思います。 分るのがいつもず~~っと遅いのですよ。
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oss102 at 2008-09-15 20:42
fuchanさん
日本の家庭では、こういう風景は馴染みがないですね。 蛙の解剖も逃げ回っていました。でも命をいただくそのときまで、動物は幸せに愛しなければいけないのだよと・・いう教育が今とても大事だと思います。
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