仔猫時代 今でもず~っと仲良し
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カテゴリ:思い出( 238 )

車の履歴  2

 自動車学校では、構内運転の時小鳥を轢いた。私が初めての運転で、コトリがコースへ飛び降りた。「アッ・・コトリが・・!!」と言ったのに、助手席の先生は、「いいから、飛んで逃げるからそのまま・・」という。 そろそろ行ったのにコトリを轢いてしまった。初の運転で1つの命を奪ってしまった。 夏の頃だったから、まだ巣立ったばかりのヒナだったんでしょうね。
先生を恨んでも仕方ない。でも一生忘れない・・とその時思った。

坂道発進で1度落ちて、2度目の挑戦で無事合格した。

夫がいなかったこともあり、毎日、夏は暇なスキー仲間を乗せて支笏湖など、空いているコースに繰り出した。

カリーナには何年乗ったのかな。2台目は4輪駆動のスバル・レオーネ。
ハイランドのスキー場へ行くのに、前輪だけでは登り切れずに涙を飲んだことがある。
ちょうど、姪が東京へ転居するので1万円で売りたいと姉から聞いて、早速買った。

たまに帰ってくる夫は、「小さい・狭い・・」と文句を言ったが、1万円・イチマンエンと唱えて文句を抑えた。 4Wのパワーは凄い! 雪道で困ることはなかった。

3台目はトヨタの4Wの後ろが開くタイプ。1800ccだったかな? 車種の名前は忘れた。
スキーハンガーをつけずに、室内へ押し込めた。
これでリサイクル屋の仕入れも配達もした。 この車の購入のときの記憶がない。???

 また、明日へ

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by oss102 | 2017-07-06 16:00 | 思い出 | Comments(7)
車の履歴

 以前にも書いたことがあるが、私が免許を取ったのは48才のとき。
メカには馬鹿の壁が立ちふさがるタチで、決断するのに3日かかった。事故を起こせば地獄・やっぱり止めよう・・いや、やっぱりトライしよう!!

生活が大変だったから、夫も車の免許は遅かった。かなり苦戦してたようだ。
その後、長男が取り・ネネが取った。
春スキーのときなど、スキー場まで迎えに来てもらったことがある。夫も練習したかったのだと思う。

ネネの取り立ての時、夕方、同乗してどこか走っていたとき、すれ違う車が「ライトがついていないよ」・・と何台も合図を送ってくれる。 早く点けなさい・・と言っても、走りながらでは点けられない初心者ばかりだった。

夫が沖縄に転勤になり、長男もネネもいなくなり、高校生の次男とガレージのトヨタカリーナが残されていた。

そこで、テニスで膝を痛めて暇な女に、免許取得の誘惑が襲い掛かったのだった。
そのころ、テニス仲間の主婦たちも、次々と自動車学校へ通い、テニスコートも、そんな話題がたくさん出た。

以前のこんな思い出話を覚えている、頭の良い方。 書いた記事が見つけられないので、かなり重複して書きますが、カンベンしてくださいね。 

          つづく・・・


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by oss102 | 2017-07-05 17:25 | 思い出 | Comments(6)
子どもが赤ん坊だったとき
 OSSメーリングに、ときどき面白いメールを流す男性。
今朝は、北海道新聞に載った自分の投稿文のことだった。私は違う新聞なので読んでいないのだが、概要はこういうことだ。

空き家の隣家に孫娘夫婦が住んだ。この男性夫婦にとってはひ孫にあたる。赤ちゃんが生まれて、孫娘は殆ど日中はわが家に。 眠れなかったと2階へ寝に行く。 老妻は上手にあやして大人しく腕の中に寝せています。 子育てに頑張ってくれた妻に、今ごろ手を合わせている私です。母親はすごいな~と思います。


私もネネを産んで2時間おきの授乳のことを思い出した。パンパンに張るオッパイを上手に飲めないネネ。23才の私は辛かった。この苦しみはいつか思い出になるのだと頑張った。
長男も夜泣きして困った。となりで寝ている夫が憎かった。

育児ノイローゼになる母親が多いという。周囲に支援してくれる両親も知り合いもなく孤独な日々。

今、騒がれている警察官一家の殺人。母親は育児に疲れて夫にあたっていたのかな・・
夫は一切をリセットしたかったのかな・・普通の幸せ家族にひそむ暗闇。 憶測でしかないのだが。
9才と6才では、赤ん坊の育児とはいえないが、根はそのときから引きずっていたのかなと思う。

今は、遠慮なく夫にあたれるようになった世の中。そんなとき、大きな心で妻を支えてくれたらと思いますが、大抵の男性は、ひ孫くらいの時代になってからでないと、妻に手を合わせる気持ちにはなれないのでしょう。


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by oss102 | 2017-06-11 16:04 | 思い出 | Comments(10)
あと1ヶ月
 7月で車検が切れるので、それで廃車と決めた。13年間のわがレピオは、マフラーが錆びているので、取り換えには15万ほどかかるので、もうこの車では車検はとれない・・と引導を渡されていた。 ちょうどハンドルを放すのには潮時かもしれない。

税金・ガソリン・保険・除雪代ほかもろもろの維持費を考えると、それを上回る必要性はないと判断した。
ほぼ、34年間、スピード違反1回・駐車違反2回・1時停止違反1回。人身事故0とまあありがたい車歴だ。

48才で取得して以来、スキー・テニス・パーク・リサイクル屋とほとんど1人で運転してきた。
旭川・富良野・ニセコ・雪道も一人でバンバン走った。
リサイクル屋はよい経験だった。

私の人生を豊かにしてくれたと思っている。もし人身事故を起こしていればそんなことは言えまい・・という人もいるかもしれないが、ここでタラ・レバを言っても始まらないではないか。

7月・7月と思っていたら、よく見たら7月7日で切れるのだった。
廃車手続き・駐車場明け渡し・などの手続きも済んだ。

花苗・培養土・モロモロ走り回ったが、なんでも配達してもらえる世の中。ネット注文が1番速い。

あとひと月、慎重に運転を楽しもうと思っている。


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by oss102 | 2017-06-07 16:02 | 思い出 | Comments(17)
運動会の思い出
  昨日の運動会練習風景で思い出した運動会。 
ネネ9才・長男6才・次男0才・私32才。
私は6月半ばに次男を生んで、退院したばかりでした。

5月の陽気とは反転して、寒いさむい6月の運動会でした。実家から父母が応援に来てくれました。
母62才・父72才・数えやすいでしょ^^ だから50年前になります。

団地に引っ越してから初めての運動会でした。当時、周囲には大きな建物もなく空っ風が遠慮なく吹きまくります。

父母が毛布など抱えて運動会に行ってくれ・・私はまだ床上げしてなくて布団を敷いたままでした。
昔は日があけるまでは、水仕事をしてはいけないと言われていました。産後20日くらいだったかしら? それでも掃除をしてない家は汚くて、父母が出掛けると、一生懸命拭き掃除をしたのを覚えています。 なぜか夫はいませんでした。出張だったのかも・・記憶なし^^

2時過ぎ、冷え切った体で父母が帰宅し、ストーブの火を大きくしました。

母は、長女の一人息子・次女の3人の子・我が家の3人の子、全部産湯から日があけるまで手伝ってくれたのです。 父はもれなく連いてきました。^^
全く男親は役に立たず、昼間から焼酎を飲むので嫌でした。 でもこの二人は切り離せません。

50年前、当然ながらみんな若かったです。
私は、末っ子の小学校の運動会を最後に、運動会見学を止めたようです。中学校の体育祭の記憶がありません。

それに・・孫もいないので、産後の手伝い経験もなし・・その分子供たちに、母のありがたみも味わせることなくきてしまいました。

今の娘さんなどは、お母さんがまだ若くて仕事も持っているでしょうから、産後の養生も短くなったかしら・・今は栄養もいきわたっていますから、短くていいんでしょうね。

運動会の思い出から話がそれました。^^


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by oss102 | 2017-05-24 15:04 | 思い出 | Comments(6)
増築中のとき
 30年ローンで公団からの分譲住宅は、7800円なにがしを毎月払って大変でした。家を売って小樽に越してきたときに、ようやく払い終わりました。

それに2・3年して2階を増築したローンはこれも同じようで、公団のと合わせると1万5千円ほどでした。

その増築中、2階への階段ができた朝、夫は点検に行きました。夫はこういう工事現場を見るのがすきでした。登校前の子供たちも喜んで後に続きます。まだ、2・3才だった末っ子もネネに抱かれて上がって行きました。

下で朝食の準備をしていた私は、ドスン!バリバリ!!という音にびっくり。2階の断熱材や木材とともにネネと末っ子が4畳半の部屋に落ちてきたのです。

まだ、そこには布団が敷き詰められていて、幸い怪我はありませんでした。

2階へ行ってネネが末っ子を下して未造作の部屋を見せたとき、ヨチヨチと部屋に入り込んだので、慌てたネネが止めようとして、二人もろとも落ちてきたのです。

その時の思い出話を何回もするのですが、そのたびにお腹が痛くなるほど笑いが止まらないのです。
苦しくて・苦しくて・・もうその思い出と笑いはセットになっていて、止まらないのです。

大食い一家で、食べさせるのに必死。質より量でした。
なんとか無事に過ごせたのは、なにより、家族みんなが健康に恵まれていたことだと思います。

バブルとかなんとか世の中は騒いでいた頃。我が家には関係ないと思っていましたが、洗濯機・冷蔵庫・TVと車。そんなものが揃っていったのも、バブルのおかげだったのか・・と考えたりしてます。 よその家よりは遅かったのですが。


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by oss102 | 2017-03-26 17:57 | 思い出 | Comments(12)
ひな祭り アーカイブ編

 10年前のひな祭りの記事です。今日はこの記事でサボリます。

みなさんも10年分若かったなぁ・・とコメント欄を読み返しながら、よくぞ続けて訪問してくださっていると感謝です。m(__)m


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by oss102 | 2017-03-03 16:00 | 思い出 | Comments(13)
ローマの休日みちゃった。
 
今日はBSでローマの休日があった。以前にもあったが用事があってパス。
我が家はケチで、BS契約なし、録画できず、四角い邪魔なものがかかる。
それでも猫番組などめげずに見る。^^

スノーシューの後、PCクラブが1時からだが、パスしてローマの休日にはりついた。
私の青春時代の映画・・グレゴリ・ペックに胸を焦がした。ウエスト58c・ピンヒールの私。
ところどころのシーンはその後のTVなどで散見していたが、覚えていないシーンも多い、
青春は、はるか彼方・・・

いつもは朝のコーヒー1杯だけだが、マグカップ抱えて、ソファがないので座布団小棚にたてかけて・・最後の王女の記者会見のシーンでは、涙ぐんだりした。

気がつけば、四角の邪魔なものは全然出ていなかった。 サービスなのね。

雅子さまも愛子様も・・その昔の美智子さまも・・こんな自由時間がどんなに欲しかったか。
民間でバリバリ活躍されていたでしょうね。 生まれた運命、選ばれた運命。

それなりの私の運命にも、満足な午後じゃった。


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by oss102 | 2017-02-14 15:55 | 思い出 | Comments(11)
左手の親指のキズ
 もう10年も通い続けているmikihanaさんのブログに、目籠の写真が載った。 
大きな目籠である。いまどき珍しい。

そうして父親のことを思い出した。
父は農家の3男坊で小学校4年卒である。当時は4年で卒業を認められた。

一人娘の母の婿に入った。職業軍人だった父は、敗戦とともに無職になった。
引き揚げてきて、竹籠を編んで売った。 農家の息子なので、なんでも手作りしたが、プロにはかなわない、武骨なものばかりだった。 物のない時代、それでも売れていたようだ。

板敷の8畳間いっぱいに、竹を引き込んで木株の台で小刀で割っていた。裏の白いところをこそげて薄くする。 それを編むのだった。お湯にひたして柔らかくしていた。

小5年の私は、だれもいない留守に真似をして、竹をするすると割っていった。
細く同じ幅にそぐのは難しかった。よく切れる小刀は、あっというまに抑えている左手の親指にくいこんだ。 血がドッと流れる。

急いで茶チリといっていたチリ紙で抑える。なにより怖いのは父の叱責。

ギュッとおさえ続けて血を止めた。そのへんにポタポタ落ちている血を拭いて、何食わぬ顔。

あれから71年が経つ。でも親指の先端についたキズ痕は今でもハッキリ凹んでいて分かる。よくばい菌に負けなかったものだ。

父さんは、どんなふうに私を叱っただろうか?

わかりますか? キズ痕が・・
 
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by oss102 | 2017-02-13 15:15 | 思い出 | Comments(14)
渋皮煮
e0001808_1551686.jpg 渋皮煮・・といえば栗のことだろうか? ほかにもあるのかなと思って、調べてみたけど、やっぱり栗だけみたい。

大きな渋皮煮をネネがもらってきた。我が母娘は甘いのが苦手・・といえども好むのもある。
カステラ系とこしあん・饅頭の類が苦手で、これは美味しかった。

でも超甘かった。ネネは1ヶで降参。 私は日をおいて1ヶずつ全部食べた。人生初物である。

栗といえば父を思い出す。実家には大きな丹波栗があり、風の強い日にはパラパラと音をたてて落ちた。 ソレッと袋を持って外に飛び出す。 ツヤツヤの大きな栗が草むらに光っていた。

戦後の食糧難のことである。近所のワルガキが忍び込んくる。「コラーッ・・人の畑に入るな~」 と叫んでいた父は、51才。 軍隊仕込みの自慢の大声である。(10年ほど前、家族の思い出の中に書きましたが、もう時効ですので、今1度)

晩秋、薪ストーブの上での焼き栗でした。さるかに合戦のように、ハジケないようにナイフで角をカットしました。 頭にシラミのたかったオカッパ頭の・・でも夢一杯の少女でした。

渋皮煮なんて、大人になってから聞いた料理方です。


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by oss102 | 2016-10-11 15:54 | 思い出 | Comments(8)