仔猫時代 今でもず~っと仲良し
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カテゴリ:本( 373 )

犬にみとられて 向井承子
e0001808_165941.jpg 愛犬記はどれも胸を打つものが多いが、これは今までの愛犬記のなかでも、かなり上位を占める感動の1冊となった。

大きなタイプならドーベルマン・小さければピンシャーという種。なみの運動量ではない闊達な犬種に振り回されての生活アレコレ。

父親がガンで最後の介護の期間、80代半ばの母親は老人病院に2週間入院。目はうつろ・よだれ・体中の筋肉がすべて眠らされた状態で退院してくる。

母親は骨粗しょう症で、ちょっとの刺激にも骨折する。きっと入院期間、少量の食べ物と点滴、睡眠薬でひたすら眠らされていたのでしょう。

そんなとき、半額・そのうえ3割引きの、ピンシャーとしては大きく生まれた仔を飼うことになった向井家。
ゴンタは母親を守る。骨折や吐血で救急車がくると、隊員に襲い掛かる問題児だが、自分にいつも目を向けてくれるゴンタは母親を活性化させる。

寝たきりだった母親は車椅子で家族と食事。散歩もたのしみ、短歌もつくるようになる。
生来のおしゃべりも復活する。

7年ほどでゴンタに白髪が見え始める。11才のころ、突然椎間板ヘルニアで身動きできなくなる。
安楽死か手術か・・大学病院で手術。
そのとき、実験用の犬の吠え声がきこえてきて・・・心で詫びます。

手術は成功して4年の老いの日々を暮せる。 死んだ朝、大量に大便で汚れた体を拭き、きれいにして横たえたとき、夫は「ゴンタ、犬でよかったな」

犬だったから家族に悲しんでもらえた。犬だったから理想の在宅ケアもできた。

やっぱりペットが一番純粋に悲しんで泣ける死を迎えられるようです。

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by oss102 | 2017-04-09 16:38 | | Comments(12)
家族という病 2冊
e0001808_1524881.jpg 下重暁子の2冊を読んだ。政府は国力をつけるために、結婚させて子供をもっと産んでほしい。
というが・・著者は、家庭、家族の美談を夢として、「家族はそんなに美しいものではない。」と家族間の軋轢をあれこれと書く。

彼女自身、名家に生まれて、父親の兄への暴力・いさかい・母の溺愛とガンガン書く。

戦後肺病になって、人と会わない生活を続けて、一人部屋に閉じこもる性格になった。それがず~っと続く。

つれあい・・結婚しているが、婦人雑誌の座談会で、つれあいと表現したら、校正には主人と直されていた。またつれあい、と直して不審な顔をされた。

子どもは生まなかったが、生まれていたら名前で呼び合ったのだろうか。

年をとることは個性的になること。個性的な最期を迎えるためにはどうしたらよいか。
それには最後は一人と覚悟をきめておかなければ・・・家族はあてにできない。
義務として求めてはいけない。

家族だからという呪縛は、自分が自分をしばっていることだ。

やっぱり自分の仕事を持って、経済的に自立せよ・・ということですね。
曽野綾子しかり・・家族に甘えないでしっかり社会で仕事せよ・・ということか。

家族崩壊が多くなって、美談としてのなかよし家族に焦点をあてて、昔からそんな仲良しこよしの家族はなかったのだ・・と切りこんでベストセラーになりました。

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by oss102 | 2017-03-23 16:00 | | Comments(8)
マイナス50度の世界  2
 合成樹脂で出来たものは、すぐにバリバリと裂けてしまう。皮膚に金属がくっつくと食いついてくる。 着るものはなんといっても動物の毛皮に限る。 トナカイのブーツやオーバーを脱ぐと彼らは驚くほど軽装です。

北極きつねを産業として飼育している。牛は8ヶ月もの間、つまり冬の間、パオからは出られない。

ヤクートの馬は自立して生きています。短足でがっちりした体型で、ふさふさとしています。
やさしそうな目をふちどる長いまつげは、霜で真っ白。体毛もふっさふさ。
鼻面で地面に雪を掘って、雪の下の草をさぐって食べています。 
寒さの中で食べ物を自力で確保する能力があったからこそ、生き残った種です。

2ヶ月ほどの短い夏には、晴天がつづき、夜が短く、日照時間が長くなるので、草木は急激に成長します。極端に雨量の少ない地域ですが、凍土がじわじわととけて水分を補給します。

ひと夏に5回から7回は刈り入れができます。

ヤクート族の故郷は常夏の国だったと・・(叙事詩による)
戦闘的な民族に追われ、極寒の地へ追われた。
ヤクートの言葉には、ののしり言葉がない。「喧嘩をするときはロシア語でやる。」ということです。

娘が嫁に行った先に一緒に住んでも、「寒くないと体の調子が悪い・ガマンできない。」と帰ってくる人が・・・住み慣れた地というものはよいものですね。

移植は若いうちがよろしいようで。


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by oss102 | 2017-03-14 15:46 | | Comments(10)
マイナス50度の世界 米原万理
e0001808_1055760.jpg もうこちらもMC+4度と春めいてきましたが、こんな本を読みました。

「お元気ですか。こちらはすっかり暖かくなりました。外の気温はマイナス21度。暑いほどです。」

いきなり、こんな手紙が出てきます。12月の平均気温がマイナス50度にもなる、ヤクートからの4月2日付の手紙です。

首都ヤクーツクは人口20万人の近代都市です。
1984年、ここにTVの取材班の通訳として万理は参加してます。

体感とは、住むところによってこんなにも違うものなのだ。と改めて思いました。

ここは氷河期時代の氷河が地中深く永久凍土として残っているところ。空気が乾燥していて、モスクワの-30度より、ヤクーツクの-55度のほうがしのぎやすい。

-55度ともなると、氷は滑らない。夏タイヤで平気。スキーやスケートは暖かくなった春のスポーツです。 用具と氷や雪面との摩擦で水分がうまれ、初めて滑るのです。

家は木造の平屋・3重窓で玄関は、内に開くものと外に開くドアと2枚だて。両側から毛皮を貼りつけています。 ゴーゴーと燃える薪ストーブはパイプで3部屋が暖められる。

しか~し・・トイレが屋外。しかも屋根もない囲いだけ・・夜はマイナス-70度にもなるところで、小さな子供も・・寒さで臭気はありません。

その戸外で洗濯物を干します。水分が凍って固まるので、パンパンと叩いて氷を落とせばいいのです。

すごい世界です。生物とは、こんなにも環境になじむ幅がある、たくましい生き物です。

                 つづく

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by oss102 | 2017-03-13 16:00 | | Comments(8)
小樽の海辺で
e0001808_14364571.jpg 北海道警・・とあるので借りてきました。2011年発行の本です。

まぁ、どこのお役所でも、つつけばいろいろ出てきますが、警察というところも悪事と深い関係にありますから、ものすごいです。

この人は、拳銃の押収の成績を上げるために、ヤクザと通じ、上役も容認しています。
警察同士が成績を競って、おとり捜査などなどあの手この手です。

税関にも話をつけて、覚せい剤を見逃してもらい、逮捕しようとしますが失敗。みんな実名でバンバンでてきます。 小樽署長になった人は、ヤクザに脅迫されて首つり自殺。盗難車の売買・・ヤクザの闊歩。 ヒェ!! そんな怖い人たちが歩いていたんだ。

私は、この事件が書かれている当時の、14・5年前、よく海辺の倉庫群が並んでいる道を車で通りました。

倉庫の壁にピッタリくっついて様子をうかがっている男がいました。2・3人もあちらこちらに不審な動作の男たち・・なにしてるんだろう・・ここはネズミ捕りをよくする道路ですが・・ちょっと違うみたい・・と通り過ぎました。

そうしたら、おとり捜査で張り込みをしていたことが書かれています。

あれだったんだ!!

著者は、トップ刑事としてさんざん道警の成績アップに貢献したのに、上司たちが危なくなったら、飛ばされて・・(生活安全課)みたいな畑違いの部署へ。

それでヤケになって覚せい剤に手を出してしまいます。逮捕・・9年の刑期。

歴代の上役たちのほとんどは、警視長になり、キャリア官僚は警察庁長官にのぼりつめ、その多くは
定年退職を迎え、なに食わぬ顔で悠々自適の生活を送っている。 とあとがきにあります。

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by oss102 | 2017-03-07 14:31 | | Comments(5)
ヴァイオリン製作者の一生
e0001808_1402618.jpg あと数枚で読み終わる・・そのとき、「あぁ、いよいよもう終わりなのか・・」と残念に感じたこの本。

こんなことは、もう数十年味わったことがありませんでした。
134ページ、小さい活字のこの本に目が止まったことが感謝でした。

韓国に生まれ、15才で来日。差別の中に労働で日を送りながら、初志貫徹、ヴァイオリン制作で生計を立てます。

フィラデルフィアに招へいされ、チェロ・ヴァイオリン・ビオラの細工と音響の2部門、全部で6つの賞の中の5部門に入賞を果たす。

ミミズがなくのを知ってますか? よく肥えた土の中でミミズがなくそうです。その声は、ストラデイバリのような名器が、どんなに細く高いピアニッシモの音でも、天井桟敷のすみずみまで聞こえる音と似てるんですって。

楽器に塗る色にもこだわり、119ヶ国を旅して、名器を見て歩き、その色の自然の植物を訪ねまわります。

朝鮮南北戦争の中の母親の生活。真っ先に戦場の最前線に飛ばされる黒人米兵に「もう使えないから君に上げる。」とドルをもらう。

私より5才年上の彼の一生は、時代背景もよくわかり、感動をたくさんもらった本でした。 

長い一生の語りを聞き書きして本に仕上げています。

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by oss102 | 2017-01-17 14:35 | | Comments(8)
経験しないとなぁ・・
 橋田寿賀子の「簡素がいちばん!」というエッセー本を読みました。なにせスイス安楽死旅行が頭をはなれず、この人の本も読む気になったのです。

86才のときに出した本です。あの東北大震災のあとの本ですから、電力の節約などいろいろ触れています。 生い立ちもほぼわかりました。母親が30代のときの一人っ子。溺愛されて育ちます。
それがうっとうしくて女子大の寮へ。

卒業して就職しても、あの時代ですから、アパートも台所もトイレも共同。少女小説など書いて暮らします。

40代でTVマンと結婚します。60代でTVのライターとして売れっ子になり、自宅の隣に大きなアメリカから材料を取り寄せた住宅を建て、エレベーター・カラオケ・バーベキュー・各階にキッチン・露天檜ぶろなど接客のための家を建てます。1度も使ったことがない、エレベーター露天風呂・・etc

大震災に驚き、なんという電力の無駄をしてたことかと。隣の小さな家の2間で、満ち足りた物書き生活。 ポータブル石油ストーブ。上にはサツマイモ・・PCも使わず手書き原稿。

レンジもない。黒電話・・携帯は外国に行ったときのみ・・

熱海の温泉プールで泳ぎ体力をつけ・・簡素な暮らしを楽しんでます。

書いてることは、私もたいして違わない世代。わかりますが、やはり経験してないとこれだけの簡素生活は若い世代にはできません。

寿賀子だって、60代にはそんな家を建てたのです。80代以上が納得してもナァ・・という感想でありました。

大橋巨泉の晩年の本も読んだことがあります。人生には安心できる妻と、気心のしれた友人数人だけがいれば、幸せだ・・と。 それが人生というものでしょうね。


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by oss102 | 2017-01-09 16:08 | | Comments(12)
藤原ていの死去
 98才で亡くなりましたね。壮絶な引き揚げの話、「流れる星は生きている」は忘れられません。
発行から随分経ってから読んだのです。 ベストセラーになったころは、まだ本など買う余裕もなかった生活ですし、図書館なども身近になかったのです。

この本に感動して、次々とこの人の書いた本を読み、娘の咲子の本や正彦の本も、私生活のことを書いた本は、かなり読みました。

新田次郎は、私の好きな作家で本も読んでいますが、家庭ではものすごい亭主関白。この時代ならどこの家庭でもそうでしたが、教育委員長までして活躍したていさんが、忙しいのに夫に気を配る姿に、気の毒なと思いましたよ。

咲子は、母親の書いた本の中に、リュックを開けてまだ生きている・・の言葉に傷ついて、かなりの長い間母娘の確執がありました。

それでもていが、82才くらいだったか認知症になり、気持ちの整理もすんで、やさしい気持ちで接するエッセーも読みました。

夫の愛したアルプスの見えるところに・・という遺言で山へ分骨に行ったていは、仕事を一切止めてホッとしたのでしょうね。

認知症になった人は、長生きしない・・と聞いていたのに、16年も生きたとは・・やはりこの人の生命力はよほど強いのでしょう。

立派な子供たちを育ててくれました。 ご冥福をお祈りします。


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by oss102 | 2016-11-19 18:02 | | Comments(10)
老後はだれが・・・
 慎太郎は、本当によく体を動かして、健康にも気を配っている。
それでも、老いはとりついて離れない。 

世話になった先輩・ヨットに乗ったクルー仲間も次々と病に侵され、死んでいく。

70才のときのトップ当選のときも、TVの映像は老いの姿そのものだった。やはり腰が悪いので、かがむ姿勢が、老いを強調してるようだ。

最近の豊洲問題でレポーターに追われる姿は、ランニングに出かける姿で、よれよれの印象だった。
これが82才の姿なんだと肝に銘じた。

10年以上前に書いた本ながら、彼は、子供たちが離れて行って、妻と二人の食卓を淋しいと書いている。 俺たちの最後の面倒を見てくれる奴は誰なのだと。

4人の息子のうち2人は家庭を持っている。俳優の次男と画家の4男は独身。それぞれの世界に生きて、老後の頼りになる息子のイメージが浮かばない。

まぁ、お金もあるし人脈もあるでしょうから、それなりの施設には入れるでしょう。
うらやましいことです。

                        おわり

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by oss102 | 2016-11-17 14:56 | | Comments(6)
漢方医
 慎太郎は若いころのサッカーでの怪我で、後年腰痛に苦しめられる。それでもヨット・テニス・ゴルフ・後年になってはランニングと、絶えずスポーツは欠かせていません。

腰痛もやはり中年になってからが辛くなってきてますね。ベトナムへ取材にいって、肝炎をもらってきます。入院しながら、苦労して記事を書いています。

そういう彼をみて、医者や友人はどこそこの誰に・・と漢方医を紹介します。いくつも実名も書いていますが。結構その筋には有名なということは、実績を上げている漢方医はいるものですね。

五木寛之の本を読んだ時も、漢方医のところへ通うために、京都に住んだとありました。

庶民と違って、保険のかからない漢方医に通えるのですよ。いろんなルートから紹介があり漢方薬を飲み続けてます。

慎太郎の家政婦さんは頭骸骨の中に腫瘍ができて、3度も手術で取り除いている。4度目には、1度だけお金を出してあげるから、この漢方医のところへ行ってみなさい・・とすゝめて、それで薬をもらって、腫瘍はできなくなったとある。

なるほど漢方・気功など昔から脈々と受け継がれているものは、根拠のあるものだと思わせられます。

   明日も

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by oss102 | 2016-11-16 16:00 | | Comments(8)