仔猫時代 今でもず~っと仲良し
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2食抜かれたフウロは
 娘は兄のお通夜の日は特休を取って10時ごろに家をでました。2匹は朝飯をいつも通りもらって、10時前にもう一度てんこ盛りのエサをもらいました。
そうして夕食と翌日の朝ゴハンはもらえませんでした。

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私たちがお葬式を終えて5時ころ帰ると・・・

食料を置いてある戸棚の前はこんなことになっていました。




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不安でいたのか私たちが帰ると、頭をすりつけて甘えるのですが、おなか空いていたでしょうと早速エサをやると、ガツガツと食べます。

それからも何度も何度もエサ場で待機です。
またおいていかれてはたまらん、食べだめしないとと思っているのでしょうか。
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翌日もかなりしつこいふうちゃんでした。ペロリと食べた後なんですよ。
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私たちもコンビニ弁当やお通夜のお料理ばかり続きましたので、この日の夕食は鍋焼きうどんにしました。しみじみおいしかったです。

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by oss102 | 2010-10-31 16:28 | いとしの花たち | Comments(16)
兄 10
 兄は教師になって豊浦の山のほうの小さな中学校へ赴任した。そこで兄嫁と出会う。
体育も教えていた兄は、やはりスポーツもできすらりと長身で大きな目の美人の兄嫁に惹きつけられてしまう。
よい伴侶を得るというのは生涯の宝物だ。

兄に謝りたいことがあった。高卒で札幌にでて会社に勤めてから初めての里帰り。私は初任給で買った黒いベレー帽をかぶっていた。
絵も描く兄は「オッ、その帽子いいな・・くれないか?」と言った。私はせっかく買って気に入っていたのであげたくなかった。嫌だ・・といえばすむものを「帰ってから同じものを送るから・・」と云ってその場を逃げた。 それ以来ウン十年が経った。
薄給のなかから千円をもらったこともある。

結婚して子供ができると毎夏休みは家族で何泊もした。父親が倒れての夏休みは子供づれで介護に1週間泊り込んだ。父親のオムツ交換もして、病室を母親と交代すると実家の食事つくりや掃除と一生懸命働いた。
明日は帰るという日、兄の子供2人と私の子供3人を焼肉やへ連れて行ってご馳走してくれた。兄の子達は少食で我が家の子供たちはおお食らいであった。子供たちは、あんな美味しいものを初めて食べたと感激した。外食などは滅多にしなかった我が家である。私の働き振りを認めてくれたのだった。

兄さん お世話になりました。そばにいてほしい♪ってフランク永井の歌をうたってくれたことがありましたね。忘れません。

先日こんな歌が読売歌壇に載りました。
ちちははも三男一女のきょうだいもみな逝きにけり秋の日暮るる
私たちきょうだいはまだ2人残っていますが、そちらで家族そろうのも、もうそんなに長い先のことではないでしょう。 家族そろったらまた楽しくくらしましょうね。

                              おわり
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やはりこんなに長くなってしまいました。(^^)
コメント欄を閉じていましたので淋しかったです。お悔やみの言葉はもう結構ですからなにか一言コメントいただくと嬉しいです。m(__)mヽ

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by oss102 | 2010-10-30 11:03 | 日々のこと | Comments(20)
兄 9
兄嫁の友だちー2
 これからもここで住むの?と聞いた。「ここで住むしかない・・友人もいるし・・」という。
息子夫婦は小1時間かかるMC住まい。近くに住むとしてもそこでまた一からの友人作りは、さしもの兄嫁も大変だろう。

兄嫁の友人作りをみて思うことがある。
ある意味、一方的に話すのだ。先日の初七日、若いお坊さんに兄の最後の様子や、介護の日々のことなどを詳しく話していた。
若い人にこんな話は興味がないだろうなどと私は考えて引いてしまうが、兄嫁はひるまない。
誰にもそうして若い人、老人とも気安く話し込む。

黙っていられるよりは、なにか話してくれたほうがいいのだ。
だが、そこには芯に温かいものがなければそれ以上には進まない。
兄嫁にはそれがある。

ある意味、仕事をしている女性は仕事のオフの時間は人恋しいのかもしれない。
この土地の人でなければ、洋品店にしろ美容院にしろ、仕事をしているだけ友人作りも難しいのかもしれない。話し相手がほしいのは友人たちも同じだったのだと思う。

そこに兄嫁は繰り返し辛さ・淋しさを訴えた。求められたので、この人のためにと一生懸命に尽くしてくれたのだと思う。
素直に相手の懐に飛び込めた兄嫁。強がりはいけない。
淋しいときには淋しいと言おう。
                           つづく


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by oss102 | 2010-10-29 17:04 | 日々のこと
兄 8
兄嫁の友達
 若いころはPTAなどで友達はすぐにできる。だが子供たちが育ってしまえば、趣味のサークルなどにでも入らなければなかなか友人はできにくい。

長年住んでいた豊浦では、兄嫁と歩くと中々先に進まなかった。道行く人がみんな知り合いで挨拶が長くなる。子供を育てて本人もこの地に育ったのだからそうだろう。

だが、都会にでてMC住まい、兄の介護で趣味のサークルにも入れない環境だ。
ここでたった7年間で兄嫁は晩年のかけがえのない友人を何人も作ったのだ。
近所の小さな洋服店のオーナー夫婦・美容院のオーナー、その友人たちもまきこんで兄嫁は友人を作っていった。
自分の限界を知って兄の介助の人を求めているのを知って、洋服店のSさんが介護人を紹介してくれた。
病院の近くに住む付き添歴7年のベテランである。
この人を兄嫁に引き合わせたことはノーベル賞ものだと友人たちは評価した。
それほど有難い存在となった。

Sさんは友人と毎朝1時間ウォーキングをする。兄嫁が悲鳴をあげているのを見かねて、その時間を兄嫁の自宅に来て背中や全身をさすって励ましてくれたという。
いくらたまさか洋服を買ったり、扱っている鉱石(マグネシュームだったか・・)を買ったりのお得意さんといえども中々ここまではできないことである。

その友人たち数人はみんな兄の見舞いにも度々いき、兄の死にかけつけてともに泣いてくれた。

私ならサークルに入ってもそこだけの友人しか作れない。   つづく

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by oss102 | 2010-10-28 10:59 | 日々のこと
兄 7
 兄3で、兄はダンデイといわれたと書いたが、けっしてハンサムではない。兄より5才下の次兄は、父親ゆずりの二重まぶたで、若いころは佐田啓二に似ていると騒がれていた。

次兄は無口で若いときは社交ベタ。兄はハッタリも利くし弁舌も巧みだっから、次姉と私は「兄ちゃんは早くなにか云ってほしいと思うし、Sちゃん(次兄)は黙って立っていてほしいね・・」とかげ口を言っていた。

その長兄に私は似ていると言われるのは心外だった。だが、年を取ってくると認めないわけにはいかない。たるんだ目や輪郭はいやになるぐらい似ていると我ながら思う。

兄の入棺をすませたとき兄嫁は、「おばあちゃんの死んだときの顔とそっくり、Yちゃんもこんな顔になるよ」と言った。私は自分のデスマスクを見たことになる。
ベルコ会館の洗面所は、どこもサイドの鏡が多角的に見られるようになっている。横や後ろの髪型も見られて便利だが、いやおうなく老いた全面を見せつけられることになる。
横少し後ろからの横顔などは、若いころは全然似ていないとおもっていた長姉にソックリだ。
血筋というものは確実に伝わっている。

                           つづく

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by oss102 | 2010-10-27 14:01 | 日々のこと
兄 6
 中学校が荒れていた時代、僻地の中学生は純朴で、まだ9人制バレーだった時代に6人制バレーを指導して、転勤する先々で管内優勝をさらっていた。6人制にしたのは生徒数が足りなかったからである。

ママさんバレーも指導した。子供は昨日練習したことの次の練習に入れるが、ママさんバレーはまた前回の練習にもどらなければならない・・・とボヤキながら、子供たちにも地域の人たちにもエコー先生といわれて人気があった。

後年、思いがけずいわゆる勲章というものをもらったが、こんな田舎にいてこそ、無事に教職を終えることができたのだと言っていた。

定年後は豊浦に戻り、町史の編纂、教育委員などの役職を次々とこなし、子供たちのバレー指導もし、お金にならないボランテアばかり・・と兄嫁を嘆かせていた。

兄嫁のおかげで父母も看取り、これから2人の気楽な生活をというときに、長年のバレー生活がたたったのか、腰の骨が変形して長く歩くことが困難になり、一日4時間の牽引など病院通いが多くなった。

そうして7年前、突如腎臓に異常をきたして透析の身となり、それではと札幌の国立病院のとなりの中古MCに越してきた。長く住んだ田舎の大きな家は兄嫁一人で引越しをすませたのだった。

                つづく

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by oss102 | 2010-10-26 08:58 | 日々のこと
兄 5
 兄が中学1年のとき、父の仕事の都合で札幌から樺太へ引越した。兄は僅か15才で親戚の許へ預けられた。兄は後年「淋しくて淋しくて、よっぽどグレてやろうかと思った。」と言った。

中学を卒業して一緒になったが、まもなく少し離れたところの三菱炭鉱の事務員になってまた家族から離れた。
終戦になってすぐの夏、私たちは道南の豊浦へ引き上げてきたが、18才以上の男は帰れなかった。まもなく父も帰り、ほかの成人男子も帰ってきたが、兄は3年後になるまで帰れなかった。
ロシア語の通訳をしていたので、重宝されて遅れたのだった。

家族の歓迎会のあと、薄暗い田舎の台所できょうだい4人を集めて「これからは兄さんがお前たちを守るからな・・」と力強く言った。そんな兄を尊敬の目で見上げていたものだった。
なにせ7才もちがう兄は、2つ違いのケンカばかりしていた次兄とは尊敬度が格段に違った。
今になっては、兄もかっこつけてたな・・・とおかしく思う。
ロシア語もロシアの歌も教えてくれた。これはその後宴会などでよく歌っていたようだ。

兄はその後で教師になった。
そのころ教師が不足していて、成績の悪い腕白上級生だった男たちが続々と教師になったのだ。
資格がなくても教師になれた。

デモシカ先生と言われた。先生にでもなるか・・先生にしかなれない・・という意味。
だが、後年クラス会になど出てみれば、腕白だった人ほど熱意のあるよい先生になっていた。
資格がなくても結構。子供好きを条件にすればいい。
成績優秀で大学を出たって、冷たい心では教育には不向きなのだ。

それ以来中学の教師一筋できた。子供たちが大きくなると校長の資格をとり、僻地で勤務。僻地手当てで子供2人を大学に上げた。

部活に試合に子供たちを車に乗せて世話をするためか、田舎の校長というものはそんなものか、土地の父母たちは色々なものを持ってくる。
収穫時になるとトーキビをどっさり持ってくる。あちらの家からもこちらからも・・・老母と夫婦だけでは食べきれない。だれかに上げようにもみんな農家。
捨てれば見られるし、お風呂の焚き口に入れて焼く。生のトーキビを焼くのが上手になったと兄嫁はわらった。

夏休みになると子供たちを引き連れてよく遊びに行った。蝉の幼虫などは佃煮にするくらい取った。
                         つづく


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by oss102 | 2010-10-25 11:13 | 日々のこと
兄 4
手稲火葬霊場へ
 告別式を終えて私たちはバスにのり、兄一家はベンツに乗った。
兄はこの年代にしては早く免許を取り、取りたてのころは「便所にいくのにも車でいきたい。」といっていたものだ。最後にベンツに乗せてやりたいと、これも兄嫁の思い。

霊場に着くとびっしり大型バスが並んでいる。我々は41台目で駐車場で待ち時間30分とか。里塚霊場の方は51台もきてるとか・・・月曜日が友引でその余波らしい。
ここはできてから2年目くらいでとてもきれい。煙突などは見当たらない。
昔は煙突からあがる煙をみて無常を感じたものだったが。

シルバーの人たちの定年後の職場になっているのか、そんな年代の人たちがキビキビと立ち働いている。ひんやりした火葬室に棺の前にならんで、これからの説明を聞く。
となりの次兄が「こういう声が聞こえないんだよな~」という。わたしも・・と目を見てうなずく。耳の遠い家系なのだ。
葬儀関係はどこでも抑えた静かな声で説明するし、集まった人たちも気を使って低い声になる。その中で悪い耳で聞き取ろうとするので疲れてしまう。
兄嫁が私には聞き取れないことにも難なく会話しているので羨ましい。

とうとう兄は焼却炉の中へ入って扉を閉められた。

湾曲形にならぶ控え室には全部特別控室○○号と書いてある。ぜんぶ特別では特別じゃないのに・・と笑う。この特別控え室でお弁当を食べる。ビール・酒・つまみもあるが、みんなこの日は車で帰るので飲む人はいない。

あの人は誰?この人は?・・と知らない顔を教えてもらう。エツ!あの人が昔お正月によくトランプをした従兄弟なの・・普段の交流がないから分からない。1時間半後、館内放送が流れて・・・兄は白骨となって。

長男の胸に白布に包まれた遺骨が抱かれて再びベルコ会館へ。むかし石ひとつだけが入った悲しい遺骨という箱もあったのだった。

最後の読経のあと、葬儀と言うすべての儀式を終えてみんなに別れを告げる。
お元気でね・・・今度会うときはまた誰かの葬儀のときかしら・・・もうみんな集まるほどのお目出度いイベントはないのだった。

                        つづく


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by oss102 | 2010-10-24 18:27 | 日々のこと
兄 3
 おくりびと・・・19日午後1時から入棺の儀式が始まる。
美しい女性2人。舟形のプールを持ち込み家族の前で兄の沐浴。手際よく全身をきれいに洗っていく。見ていて気持ちよさそうだ。

色々なパターンがあるようで、お風呂好きの兄なのでこれを選んだと言う。
私なら生きているうちにやってほしい。
顔もきれいに洗って髭剃りをしてクリームをつけてさするので、ほんのりピンク色になった兄は美人に洗ってもらって天国だ・・と冗談を言いそうだ。
よく人を笑わせる人だった。

ぶじ入棺を終えた兄に、愛用していた背広上下をかけた。グレーのイタリー製の両サイドベンツ。
教え子の弔辞にも何度も「ダンデイーな先生・・」という言葉が出た。
兄は昔からお洒落だった。兄嫁の着るものも全部兄が選んだ。
「着る物を買うときは、ネクタイひとつでもこれを買った!と印象に残るものを・・・」といつも云っていた。

そのくせ煙草はエコー・酒は焼酎を愛飲していた。

3時近くなると続々と遠くの親戚・友人が集まりだした。9年前の次姉の葬儀以来の人たちだ。広い和室も一杯になって着替える人、兄嫁の手をとって泣く人。

スライドショー
 6時、柔らかい落ち着いたトーンの女性の司会で通夜が始まる。義理で出るときは退屈な読経も兄の頬笑んだ遺影の前ではしめやかに胸に届く。

大きなスクリーンに兄の古い写真や最近の写真を集めたスライドショーが写し出された。
山や樹木や川の流れの映像の間に、ナレーションが入る。
新婚のころ。兄嫁の顔はまるくて可愛い美人さん。兄のスキーウエア姿・トレーナー姿で走る・小さい息子たちと・教え子たちと歓談・デイケアでの姿・介護する兄嫁とのツーショット・・

長男は試作品を見ていなかったら号泣してしまうところだったと云った。
今は結婚式も葬儀も、たちまちこんなものができる世の中になった。

祭壇脇には受勲の額・法務大臣からなにやらの表彰状が飾られている。
名もなく金もなく小市民ではあったが、人に愛され愛し、教育にも燃えて、スポーツを指導し、良い妻を得て、家族を愛し、親を看取り、ボケもせずに83才の人生を閉じた。
幸せな人生だったといえる。
                      つづく


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by oss102 | 2010-10-23 13:56 | 日々のこと
兄 2
 兄の自宅から信号3つ目の角にベルコ会館がある。
すでに18日に入った夜中、そこで兄嫁と息子夫婦は通夜・葬儀の打ち合わせに入った。夫の葬儀のときにも覚えはあるが、祭壇・棺・供花ほか色々と細かい打ち合わせが延々と続く。
終了して横になったのは3時半であった。

翌朝7時起床。みんなでコンビニ弁当。
私は翌日19日の通夜までなんの役にも立たず、いてもすることがないのだが、兄嫁は当然私がいるものとして扱うので、そんなものかと覚悟を決める。

10時過ぎに喪服と着替えをとりに自宅に戻り、娘に息子たちに電話してもらうよう伝言を書いてまた戻る。

ここは建ってから2年くらいの新しい会館で、どこにも新しい備品がそろっていて気持ちがいい。
大きな和室2間つづきにフローリングの間に応接セット・TV・流し・洗面2つ・ジャグジーつきの浴室・トイレ・毎日浴衣・バスタオルなど洗面セットが新しくなる。
葬儀産業もここまでやるのですね。

3時ころこの部屋に戻るが、本も新聞もパソコンもない広い空間になすこともなくひたすら待機。
ただ、自宅に兄嫁と息子を乗せて色々必要なものを取りにいく運転手はした。
夜もコンビニ弁当。都会の真ん中で食べ物やは沢山あるのだが、兄一家はなにかと忙しく、私だけふらふらと美味しいものを食べに出られない。

兄嫁は説明を詳しく話そうとする人なので、打ち合わせも必然的に長くなる。
打ち合わせの範囲から外れると息子が「そこはここでは言わなくていいから・・と穏やかに抑える。
人前で「いまそんなことを云わなくてもいい!」と叱り口調でいう夫や子がいたりするが、この一家は穏やかで家族が仲がよくて気持ちがいい。
長男のお嫁さんも明るくてテキパキと動く感じのよい人で、15・6年前の結婚当初から私はファンなのだ。(長男は初婚・お嫁さんは一人息子連れの再婚である。その息子はもう大学を出ている。)
次男(独身)が急きょ、東京から帰ってくる。
急なことといっても、覚悟はできている年の順の兄の死なので、暗い感じはない。打ち合わせのときには笑い声もあがる。
兄嫁も嬉しそうにみんなの中にいるが、部屋にかかってくる知人のお悔やみの電話に、説明してはいちいち泣いてしまう。

私も思い出して涙ぐんだり笑ったり。

                           つづく


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by oss102 | 2010-10-22 18:03 | 日々のこと