仔猫時代 今でもず~っと仲良し
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組合だより
 ここの組合だよりが届いた。 お知らせや注意事項が載っている。
○ベランダにエサを撒いて小鳥を呼び寄せている人がいるが、カラスが寄ってきて迷惑がかかる。
○夜中に帰宅してから家事をする物音。
○赤ちゃんの夜泣きに困っている。 などが載っていた。

ほう・・そんなに聞こえるものか。私たちは、たま~に壁をコツコツするような物音を聞くことがあるが、話し声は全く聞こえない。 恵まれているのか、まだ体験していないだけか。

赤ちゃんの夜中の泣き声はきこえるのかな~ そのむかし、長男が夜泣きをした時期があって困ったけど。 でも組合にいうほどのことか・・と思ってしまう。 ちょっと我慢してればひと月ほどのものだから・・・と思うのは自分が夜中に聞く側でないからか。

カラスも頭がいいから、なつくと可愛いよね・・とネネと話す。

そしてショウマの雄叫びが聞こえているのだろうか?と心配になる。

ショウマは排泄をした後は、ものすごく大きな声でお知らせする。ごていねいに5回ほどおしらせがある。
上がった椅子から降りられなくなっても大声でわめく。 目が見えない分不安なのか。

我が家の換気口は全部あけてるんですよ・・・・

組合の役員さま。ご苦労様です。

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by oss102 | 2016-02-29 15:33 | 日々のこと | Comments(7)
新種の喫煙
 先日、勝間和代がでていたTVを見た。 途中から見たのですが、大断捨離をしたと部屋やロッカーや靴入れを見せていました。

以前はこうだった・・と部屋のぐるりの棚に乱雑に置いてあった、おびただしい本。
これを全部処分して、タブレットで読むことにした。

あふれるようだったロッカーのブランドの洋服も、Tシャツのような簡素なものに、靴も4足だけにした。一足4・5万のものだったけど。

そうして家の中の動線も不便にして歩き回るようにした。 ウオークだけでなく、立っていることも大事。 家の中はスッキリして客も招べるようになったと。

座っていることは、新種の喫煙だと言い切った。 おかしかった。

私は運動もそこそこしてるけど、やっぱり座り込んで本やパソコン、TVは寝転がりながらが多い。

いっぱいタバコを吸っているんだなぁ・・・薬(ヤク)に走らないだけいいと思ってるんだけど。

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by oss102 | 2016-02-28 17:33 | 運動 | Comments(7)
スキー道具が重い
 
一昨日は数本滑っただけなのに、翌日はすごく疲れている。昨日は予定がない分ゴロゴロとして過ごし、いつもより疲れた。

スキー道具がやたら重い。重く感じるようになった。 駐車場はたくさんの車が来るのでよほど早くに行かないと、遠くに駐車することになる。スキーを担ぎスタコラ・・・スキー靴を履きゲレンデの下方にある切符売り場までスキーを担ぐ。

ゴンドラに乗るときは脇にかかえて(かつぐと前後の人に危ないの)階段を何十段かな? そしてゆっくり動きつづけるゴンドラの脇のスキー立てに、高く持ち上げて入れる。降りるときも、動き続けている中を同じ動作。
それが苦痛になってきた。

e0001808_1619025.jpg上級者用のスキーは板も金具も重い。ブーツも重い。
何キロあるのか計ってみた。 スキー2本で5・5キロ。米袋より重い。
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ブーツは3・8キロ。合計9・3キロだった。
それにストックとゴーグル、帽子・手袋・マフラー・カメラ・携帯・財布・・・かさばるウエア。

どうせ緩斜面しか滑らないのだし、初級者用の軽いスキーがほしくなった。

ニュージーランドに行ったとき、バスに乗ってからホテルの部屋にスキー靴を忘れてきたことに気付いた。仕方がないのでスキー場のレンタルに行った。
私の足に合うのは子供用だった。 それで滑ったけどちゃんと滑れた。

初級者用のスキーならリサイクル屋に売ってるだろうな・・・でも、もうやめたほうがいいのかも・・と揺れてる心。 お金も出したくない。このバックだって、ファスナーの内側がボロボロ。

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by oss102 | 2016-02-27 16:04 | スキー | Comments(8)
男ふたりとあんかけやきそば

 昨日はスキーに行った。10名の参加でパウダースノー。スキーの芸術家S氏も来てくれて、後ろをついて滑った至福の1本。 でもそのうち視界不良になって早めに切り上げた。
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e0001808_11222958.jpg車に同乗させてもらった男二人と下界におりて、久しぶりのあんかけ焼きそばを食べた。

ここのは、アツアツで・・と注文すると、じゅう~じゅう~煮え立っているのを出してくれる。
小樽はあんかけやきそばをご当地グルメとして売っているが、こんな味なら私でも作れる・・と思うようなものが多い。 

アツアツをふうふうしながら話をする。男2人は6・70代だが、開拓農家の子で育ったという。
ランプのホヤのスス磨きは子供の役目。

その地方の実家が空き家となっていて、夏は泊まり込みで野菜を作っている。食べきれない。売るには手間暇もかかるし、元を取るのも大変なんだろうなぁ。

家の解体は、町の補助があるそうだ。エッ!そんな町があるの。いいなぁ・・・

スキー仲間は、ほとんど話をする暇がない。滑ってサヨナラの世界である。
こんな風に向き合って話ができるのは珍しい。 あんかけの満足と、男たちの育った背景と今の姿を重ねて親近感を強くした。

朝里のトンネルを抜けると日が射していた。

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by oss102 | 2016-02-26 16:15 | スキー | Comments(2)
療法食 余計なことを・・・

 ショウマは若いころ腎臓に石がたまり、オシッコが出なくなって療法食しか食べられなくなった。
もう14年も前のことになる。

初めは肉系の療法食しかなくて、ショウマは可哀そうだった。フウロの食べる懐石をほしがる。幼いころに毎日食べていたものだ。
そのうち魚系の療法食が出て、食べるようになっていた。少しは懐石もふりかけていた。

こちらにきてから療法食を探すと、パッケージも中味の大きさも味もリニュアールしたとみえて、フウロまでが同じお皿に顔を突っ込んで食べていた。

あぁ、よかった・・・と喜びもつかの間。2・3回目になるともう2匹は見向きもしなくなった。
なにか強烈な猫の好む匂いがつけてあったらしい。 匂いが飛ぶともうダメだった。

フウロの突然の死で、ショウマは少量のふりかけの懐石を拾い喰いして、○○コも5日も出なくなった。

以前のだって、喜んでいたわけではないが、なんとか食べていたのだ。それがパタッと食べなくなった。レトルトなら・・フウロのように歯槽膿漏になるかもしれないけど・・でも食べてもらいたい。
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買ってきて封を切ったときの、何とも言えない悪臭。見向きもされなかった。85グラム、170円と消費税だ。
今までのは喜ばないけど何とか食べていたのだ。まったく余計なことをする。

仕方がないので、懐石だけやったら、バクバク食べて、○○コも無事出た。
今度はオシッコがつまるのかな~  悩み多い猫問題。

拒否するショウマ

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by oss102 | 2016-02-25 17:51 | いとしのネコたち | Comments(10)
冬の思い出  6

 スキーに狂って20年が経ち、そのおまけが20年続いた。その間に子供たちは成人して親元を離れ、夫は他界した。
夏はテニス、これはあまり上手くならなかったが、そこそこの腕前の仲間としっかり遊び、スポーツ三昧人生。 おかげで、まだ歩けるのだと思っている。

いや、スポーツしない人だって沢山ふつうに歩いているよね。

11月23日からゴールデンウイークまで・・・ひたすら滑った。6月にも沢すべりなど楽しんだ。
娘と同じ年の仲間と外国スキー旅行も3度行った。

今は余韻だけで滑っている。もう30年以上前の、スキーウエアと用具。買い替える気持ちはない。
でも誘いがかかれば、「いくか・・」という気になる。一人では行く気にならない。

なんだかんだと言いながら、私は仲間という関係が好き。
友人でもない、もっと薄い関係。 それでいて一人では淋しいのだ。

 雪国に生まれた私の冬の思い出。いぜんにも同じことを書いたこともありますが、違う構成で書きましたので、お許しください。 
結局冬の思い出はスキーの思い出になってしまいました。

                     おわり


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よ~く見てください。ネコが・・・すべってるんですよ。^^
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by oss102 | 2016-02-24 14:28 | 思い出 | Comments(8)
冬の思い出  5
 
40代に入ってテニスに誘われました。団地の裏が大きい沢状になっていて、テニスコートが2面ありました。 3人の子供たちもようやく手がかからず、やりくり生活ながら若干の余裕も出来たのです。
そのころ道新こどもスキー教室とか、スポンサーのついたスキー教室のチラシが団地にも入るようになり、テニス仲間の家族と一緒に子供をつれて参加しました。

私はまだ、長男の使ったゴムのスキー靴とスキーでした。お下がりではなくお上がりですね。
そのうち熱中しだした仲間の家族が、手稲のスキー場の会員になり・・・

その時私も誘われたのですが・・・「毎日スキー場に行くなんて、まともな主婦のすることではない。」と断ったのです。 この言葉が、いつまでもスキー仲間のひやかしにあうことに。

私がいちばん狂いだしたのです。言葉と言うものは恐ろしいものです。必ず自分にかえってくるものですね。新雪・深雪に狂ってひとシーズン100日も通ったことがあります。

30度の急斜面を・・春先のザラメを・・よく雪崩に会わなかったものとゾットします。
今、息子がオフ・ゲレンデに夢中です。心配ですが、あんまりうるさく言えません。

そんなスキー生活で50才近くなると、いつまでもハードなスキーは出来ないし、教えることで続けられたら・・と指導員の資格を取りました。

シーズン初めの指導員研修会や、本州から来た人たちのスキー授業も楽しいものでした。若いインストラクターに混じってのオバさん先生です。

滑っているときは、みんな帽子やゴーグルでカラフルなウエア。夜の食後のミーテングは、顔が丸出しになります。 私の組はどこ?・・・ハゲや白髪やで自分の生徒が分かりません。
生徒の方も、ガッカリします。 ちょっと精神的におかしい青年がいて、私を見て、どうしても「この班ではない。」と頑張られたことがありました。"(-""-)"

どうしてもノーコントロールで、スピードが出てしまう生徒さんに、いつも云う言葉があります。
「20キロで走る車でも、ブレーキが利かない車は怖いでしょ。」
「スキーもブレーキが大事です。」 出てしまうスピードではなく、出すスピードのために、ブレーキの練習をしましょう。 その後は、みなさん安定した滑りになって感謝されました。

こぶの急斜面に格好良く滑って見せるインストラクターも必要ですが、地味なオバサン先生も、中高年のスキーヤーには喜ばれました。 気づけば50代も後半になっていました。


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by oss102 | 2016-02-23 14:58 | 思い出 | Comments(8)
冬の思い出  4
 高校を出て、姉の家に居候をしていたころ、サブちゃんと呼んでいた若者が出入りしていて、どこかのスキー場に連れて行ってもらったことがある。スキーウエアもなく、事務服のウエストにそれらしくゴムをいれて絞り、姉の古いスキーを借りた。 姉は結婚して豊かな暮らしをしていて、合板のスキーを持っていた。

曲げることを知らない私は、土手のようになった坂を、直滑降せんもんだった。止まるときは転ぶ。
なれてきたところでスピードが出すぎて、転ぶ余裕がなく、坂の先の石垣に衝突した。
かなり痛かったが、姉の手前我慢した。

翌日医者に行ったが、「問題はないが、年を取ったら影響が出るかもしれない・・」 その言葉は忘れずにいる。 よかったなぁ・・まだ歩けるもの。

ちょっと気があったサブちゃんは、今頃どんなオジイサンになっているかな。生きているかな。

 子供の学校では、スキー授業とスケート授業があって、両方の用具を用意しなければならなかった。親の負担は大きく、上の子と年齢差があった下の息子はお下がりもなく、季節の終わりころのバーゲン品を買った。 ところが、翌年には大きすぎて、翌々年には小さすぎて、とうとう丁度よいスキー用具をそろえてやれなかった。 ゴメンネ。

後年、冬休みのスキー教室にかり出されるようになって、子供たちを教えた。
どんなに用具が大事なものか、よくわかった。
リフトに乗っている途中に、片足のスキー靴を落とす子供がよくいた。私のような親の子だ。
用具で、上達が大きく違ってくる。

でもその頃は高度成長期の豊かな暮らしになっていて、子供たちの服装も用具も立派なものが増えていました。


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by oss102 | 2016-02-22 15:19 | 思い出 | Comments(6)
冬の思い出  3
 小学校2年生で樺太の豊原に引越した。
札幌にいたときは、30センチも積もると、わぁ、大雪だと騒いだが、豊原の雪は玄関を埋めて開かなくなった。 兄たちが、窓から出て奮闘する。
投げ上げた雪は、大人の背くらいにもなって、雪かきが上手になったね・・と母や姉は言っていた。

そんなだから、スキー授業があるときは、スキーをはいて学校へ出かけたが、きれいに除雪してあるところは、子供の背よりずっと高い雪の壁になっていて、恐ろしくてスキーを外して尻滑りで、ようやく道路へ出た。

庶民の家は本州仕様でも、学校は2重窓だった。大きな丸いストーブの横には棚ができていて、弁当の入れ場所になっていた。ほかほか弁当をいっせいに開けると、漬物や魚の煮物などでかなり匂った。 
アルミのフタに当番が大きなヤカンのお湯をついで回った。 今でも不思議なのだが、フタは箸のケースもついているものもあって、そんなデコボコした薄いフタで、こぼしもせずによく熱い湯を飲んだものだと思う。

餅は搗き立てをひろげてそのまま外に出して凍らせる。餅をつく早朝はナイナス20度・30度の世界。
凍ると家に入れて程よく解けたとこでカットして、雪の中へ。 雪の中は0度である。

リアカーで凍った魚を売りにきていたオジサン。だんだん食料事情も悪くなってきていて、「カンカイばかり・・」と母がこぼしていた。 カンカイって今のコマイのような魚だと思います。


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by oss102 | 2016-02-21 15:27 | 思い出 | Comments(6)
冬の思い出 2

 冷えきって、家に駆けこむ。 母は、デリッキで貯炭ストーブに空気を入れて、真っ赤に燃やす。
感覚のなくなった手を、母の着物のふところへ入れる。 しばらくすると、指先がじんじんと痛くなる。 温まった血流が指先へ急ぐのだ。 痛みを我慢しているとホカホカの手が戻る。

足指も感覚がなくなっている。温まった手で、自分でマッサージ。

今は灯油ストーブが多いので、ケージで油の量が目に見える。だから少しは倹約精神が働くが、道産子としては、寒いときはどんどん焚け・・の精神がまだ残っている。

窓もガラス1枚・断熱材も入っていない本州仕様の家だ。 冬に備えての窓の目張りも怠りないが、まぁ、ストーブだけが頼りの冬の生活。

月に1度くらいのエントツ掃除の小1時間は、寒かったなあ~。
でも掃除の後は、ゴーゴーと頼もしく燃えた。

ストーブは一家に1台だけ。台所にちょっと洗い物を置いておくと凍った。
家族全員ストーブのそばで過ごす。 お湯が沸き・餅が焼け・大なべに煮物がかかる。

母と父の場所は決まっていて、子供たちは一番いい場所をあらそう。湯沸しを通した煙突の後ろが一番悪い場所だった。 それでも譲りあったり、ふざけて小競り合いをした。


ストーブ前の3種の用具。デレッキは3番めの鉄の棒です。
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by oss102 | 2016-02-20 16:16 | 思い出 | Comments(4)