仔猫時代 今でもず~っと仲良し
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ねこが来てから その2 病院から自宅へ
 翌日私は病院へ様子を見に行きました。
ネコはケージの中で丸まっていましたが、私が近付くと激しくハーッと威嚇し、「これは何の音?モーターが壊れた音?」と思ったくらい異様な大きな唸り声を出しました。

医者は足は折れていないようだが、レントゲンを撮れる上体ではないので、注射をしたこと、このまま様子を見るしかないといいました。
私は「足を引きずるくらいなら飼いますが、排便も自分で出来ないようなら、私としては飼いきれないので、こちらで安楽死してもらえないのなら保健所に連れて行くしかない」と消極的姿勢を示し、助けたり殺したり、おかしなことになったと思いながら、トッサにはそうするしかなかった事態であることは認めつつも、内心面倒なことになったと思っていました。

時々様子を見に行きましたが事態は変わらず、相変わらずハーッ!とウーッ!を繰り返すばかり。首の不随筋が犯されているのか、非常に激しく首を振りながらも、餌は食べ、排便もしているということでした。一日に1度、皮手袋をはめた先生が取り押さえて、栄養注射をしているようでした。

他の患者?の飼い主が来ては、薬をもらったり、注射をして帰っていくときには、レジで3000円以上は払っていくようでした。
私は入院となると高いんだろうなぁとびびっていました。
それで、リサイクルショップをやっていたときのケージがあること、そこでなら餌と水とトイレを作れること、余り入院費がかさんでも困るしと本音を打ち明けました。

先生は「いや、高くないよ」とアッサリ否定しましたが、先生の高くないと、私の高いは、1ケタ違うのではないかと信用出来ませんでした。

  つづく
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# by oss102 | 2006-02-03 15:58 | いとしのネコたち | Comments(3)
今日は2・2・の日 ニャァニャァの日です。
 今日からまたシリーズで我が家のネコのお話です。
去年7月15日の内容と輻輳して、写真も同じものを使ったりしますが、お許しください。
2003年にねこが来たときに書いたものを、2月22日のネコの日がある月にちなんで読んでいただきたくなりました。 今日の文は娘が書いたものです。


ハー輔との出会い   ビニール袋で捕獲の巻

あれは仕方なしにサービス残業をして、チョット疲れたと思いながら自転車で家路につき、もうすぐ到着、と思ったときのことでした。
我が家の2軒手前の家の前で、小学生の姉妹が口々に「あぶない!」「轢かれる!」「ダメ!」などと叫んでいたのです。
「は?」「何事?」と怪訝に思いながら、彼女たちの視線を辿ると、車道の上に小さな猫が・・・、それも何だか動きがおかしい。後ろ足が立たないのか、腰を地面につけたまま後ろに下がったり、頭を振ってもんどりうったり、そのくせなぜか車道の真ん中へと寄っていっているのです。このままでは確かに轢かれるのは時間の問題。何せそこはバス通りで、ひっきりなしにバスや乗用車が行き来している道なのです。

私は自転車を降り、少女たちに訊いてみました。「どうしたの?」「病気?」「怪我したの?」でも答えはなし。ただひたすら「あぶない!」「轢かれる!」「ダメ!」を繰り返すのみ。このままでは本当に轢かれてしまう、そう思った私は何故か車道に降り立ち、手でバスや自動車を制しながら、猫の後ろに廻っていたのです。素早く逃げ出す力はない、と判断した私は、とっさに猫を捕まえていました。

その瞬間から、ハー輔の死に物狂いの抵抗が始まりました。こんな小さな猫のどこにこんな凶暴性が隠されていたのかと驚くほどのすさまじさでした。でもとにかく安全な場所へ移そうと、「分かったから、すぐに放してあげるから」とまったく届かない言葉を繰り返しながら、車の来ない路地へ運び放しました。

でもどういう訳か、光を頼ってなのか猫は安全な場所から車道へと一目散に駆け出そうとするのです。
「こりゃだめだ、何とかせねば」と思った私は、またまた手を血だらけにしながら何とか暴れる猫を取り押さえ、少女たちに叫んだのです。「袋貸して!」
少女は家にいたお母さんに叫び、スーパーのビニール袋を一枚手にして、私に手渡そうとしました。私が猫を持ち上げると「こわい」と言って後ずさりします。「絶対噛ませないから、入るように広げて持ってて」とほとんど命令し、何とかハー輔を袋に落とし口をふさぎました。
ハー輔は諦めたのか、やっとしずかに・・・・。

運悪く隣の動物病院は休診日、しかも7時を過ぎている。でもまさかビニール袋に入れたまま朝まで待つわけにもいかず、ダメもとでチャイムを押してみる。「申し訳ございません。野良猫なんですが、なんだか動きがおかしくて、車に轢かれそうになっていたので、捕獲したのですが・・・」
「野良の場合は助けるのはいいんだけど、その後責任もって飼ってくれますか?」と念を押され、その場の勢いもあり、母の承諾も得ず、「飼います」と即答。
先生は袋越しに触診を試みるも、ビニールの中で激しく敵意をむき出しに抵抗するので、これじゃ診察も出来ないので、とにかく一晩預かって様子を見る、と引き取ってくださいました。

翌日様子を見に行く約束をしたものの、運悪くその週は残業続き。病院の診察時間内に家へは帰れず、毎日母に行ってもらう羽目に。

   つづく
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# by oss102 | 2006-02-02 11:43 | いとしのネコたち | Comments(0)
鯨汁
 ネット仲間のメーリングで、12月は鯨汁のことで盛り上がった。
お正月のお料理に鯨汁は付き物だという。結婚してからお姑さんに習い毎年作るという人、全然食べたことが無い人、雪かきで疲れたから食べたいナァ、誰かご馳走してくれと言う人。

毎日雪かきで疲れていた男たち。合間のパソコンが愚痴のはけ口なのか鯨汁メールが飛び交った。
同じ頃、OSS5大ニュースに応募した入賞者には賞金が出た。1等当選者3000円の人から話が出て、鯨汁の会が今日とりおこなわれた。参加者総勢45名。
年末交流会以外の行事でこんなに集まったことは前代未聞である。食い意地のはったシニア集団であることを再認識した。e0001808_17552677.jpg

煮込んだほうがおいしいとて、前日からスタッフは仕込みに励み、見事に鯨汁の会は開かれた。
役員手作りのランチョンマットに手製の漬物ほかが並び、会長差し入れの大吟醸ほか、ワイン、ジュース、食後のコーヒー。至れり尽くせりである。これで会費は300円也。

暮れにだけ売り出される鯨はスーパーで4・5センチくらいのが1500円もする。市場では1キロ7000円とか。
もともと浜育ちの人の料理なのだ。山菜や野菜をタップリ入れて、白身の鯨が茶色になるくらいまで煮込む。毎年のお正月には郷愁とともに味わうのであろう。

鯨汁で育たなかった私の感想は、ぜひもう一度という味では無かった。だが熱気に包まれた賑やかな交流の場は、ぜひもう一度である。情熱スタッフに感謝である。


スキン変更したのわかりますか。同じシリーズですが2月は流氷の月ですのでこれにしました。
   
       まだまだ春は遠い。
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# by oss102 | 2006-02-01 18:18 | 日々のこと | Comments(10)
仲間に乾杯!!
 小樽運河にちなんだカナルスキークラブ。出来て足かけ20年になる。
1月最終の土・日はニセコスキーと決まっている。20年経って15名のクラブ員は全員55才以上になった。トップは私71才。

夜の宴会では発足当時の話で盛り上がった。私が小樽に越してきて、お世話してくれる人がいて立ち上がったクラブだ。みんな下手だった。男どもを天狗の急斜面から、片足スキーで斜滑降させた。深雪を滑らせ次々転がして楽しんだ。
仲間の競技大会のときは、ダウンのふくらんだウエアを着てきた男、「スピードが出ない方が恐ろしくない」と言っていた。今やマスターズ大会に競技用の体ピッタリのウエアを着る。

2日間ともグンと気温が上がって暑かった。山頂から3分の1くらいはガスの中。視界不良なり。
途中から晴れていて、下にくると暑くて汗が出る。
距離が長いので途中で2・3度止まるがさすが皆疲れてくる。

最後に13名全員でトレーンをすることにした。
トップは1番遅い人、その人に合わせて離れずに等間隔で滑るのは技術が必要なのだ。何度も振り返って見るが見事にトレーンしている。終点でパタパタと折りたたまるように止まる。
 ワーイ 大成功!!! みんな歓声を上げる。

よく出る話題だ。夫婦2人とか、1人で滑っていては、ガスの中見えないとか、疲れたとか、すぐ休むだろう。仲間がいるから何本も頑張れる。
仲間がいるからスキー場へ行くのだ。

仲間に乾杯!!  あぁ~~つ か れ た~~
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# by oss102 | 2006-01-31 11:33 | スキー | Comments(7)
本好き その3
 高卒で姉を頼って札幌へ出て、英和文タイプを修得して会社勤めとなった。
結婚までの僅かの期間は本を買った。だが月給7千円ほどの薄給である。それでも会社の昼休みは、近くにあった丸善に通い、本選びに胸をはずませた。

そのころ古本屋で、シートンの動物記7冊全巻を買い、狼王ロボ等を興奮して読んだ。
動物好きと本好きは幼児からのものだった。

会社勤めは2年ほどで止めて結婚した。また安サラリーに追われて本は買わなかった。だが借りるなどして本を読み出すと、むさぼるように読んだ。子育ての忙しさの中でも、煮物しながらのちょっとの隙間にも読んだ。

子供が手を離れて少し時間が出来ると、時代も少しよくなってきて、市の出張所などにも本が置かれるようになった。道立図書館からも取り寄せてもらえた。
こうなると、旅行ものとなると4・5冊そればかり読み、医療物、報道物、小説は作家ごとに、かため読みするようになった。

非常に乱読で、読み放しが多かったが、自由に選べない本との付き合いで良い面もあったと思う。好きな本でもないのに、仕方なしに読むことも多かった。だが読んでみて「あぁ、良かった」と思うことも多かった。読書傾向に広がりが出来たと思う。

一時期までは、本を大切に持ち歩いていたが、転勤を繰り返しているうちに、ある時決断した。
私は何度も読み返さないのだ。図書館通いをすればいいのだ。また読みたくなったら借りればいい。
図書館では、新刊ものも購入希望すれば大抵買ってくれて、入荷すれば連絡してくれる。
一番目に読むことが出来る。尤も私は幾ら古い本でも一向に気にしない。

ブログ仲間が以前に紹介していた本を図書館に注文した。「千住家にストラディヴァリウスが来た日」千住文子著 先日吹雪模様でスキーが中止になった日に、一日で読んでしまった。

あぁ、家庭教育とは凄いと感動した。我との違いは大きい。

ドンドン読んでドンドン忘れていくが、知らない世界を知って、空想を広げられる読書。テレビのように、勝手に先へ進まないのでマイペースで読めること。
高度の読書家ではなかったが、本好きで本当によかったとつくづく思う。

                             本好き おわり。e0001808_12464636.jpg


今日はとても暖かい日です。久々ねこたちは外へ出ます。ショウマはカラスを探しています。
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# by oss102 | 2006-01-30 12:28 | いとしのネコたち | Comments(5)
30日にお会いしましょう。
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# by oss102 | 2006-01-27 21:57 | いとしのネコたち | Comments(4)
本好き その2
 道南の高校に汽車通学するようになった。
駅前の本屋に入り浸り、1日数本の汽車しか通らない待ち時間を立ち読みで過ごした。1冊60~100円の角川、岩波文庫を買い、往き帰りの各40分の時間は本ばかり読んでいた。
倉田百三、室生犀生、伊藤整、トルストイ、ドフトエフスキー、ツルゲーネフ片端から読んだ。アンナカレーニナを読んだときは、丁度試験前で、学校をサボリ、本を読むためにサボルということに、いっぱしの文学少女を気取っていた。鼻持ちならぬ少女時代。
母は「あまり本ばかり読んでいると、不良になる」と心配していた。一時は不良にも憧れ、自殺にも憧れた。 まぁ誰でも通る思春期の道ではあったのだろう。

そんなころ赤毛のアンに出会い、夢中になって読み、これは母や姉も読んだ。この本は借り物だったが、働くようになって自分でも全巻買い、これは今でも持っている。

高校で初めて図書の並ぶコーナーを見た。中学のときは新制中学になりたてで、まだ設備も整わず、1時期などは、小学校の教室を借りて、thes is a pen とやっていたくらいだから、図書コーナーは無かった。
ずらりと並ぶ本の列に興奮を抑えられなかった。活字でさえあればよかったのだから、本の内容よりも本であることに感動した。

私は本好きだったのに、自分の本を持つということが、極端に少なかった。
白洲正子が、本でもなんでも、自分で買って手許におかないと身に付かないと言っていた。

もっと良い本で育っていたなら、もう少しましな私が出来上がっていたような気がする。

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今日は2匹で。 次回は最終篇
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# by oss102 | 2006-01-27 12:20 | いとしのネコたち | Comments(1)
本好き その1
 身の回りに本など余りなかった時代。きれいな色も回りに無かった頃、たまに出会う絵本。
今でも思い出す。 縁側に座っている母親に幼な子が肩を叩いている。庭にはトンボが飛んでいて、きれいな花が咲いている。母親はとても優しい顔をしている。
見開き一杯の絵だから幼児向けなのだろう。小学低学年になっていた私は、放心したように、甘やかな気持ちにひたっていた。

樺太にいた小学生時代。誰かが持ち込んだ本の回りにむらがる。休みの時間に7・8人もオカッパ頭をくっつけて、シラミを移しっこしながらひと山になって聞く。 読み手は大抵私だった。
小公子、小公女、岩窟王、母を訪ねて3千里、フランダースの犬、こうして本と触れ合っていた。

小5で終戦をむかえ、引揚者となって道南の田舎町で暮らした。
そのころの活字とのふれあいは、トイレの落し紙だった。婦人雑誌を切ったものが箱に入っていた。大人向けだが活字には全部ルビがふってあった。切ってあるのをつなぎ合わせて読んだ。
戦後沢山出版されたエロ本もこっそり読んだ。兄がかくしていたものを持ち出したのだ。
大人の世界には何かあると知ったのもこのころだ。

ボツボツ少女小説が店に並ぶようになった。吉屋信子、円地文子の少女小説。親にねだって1冊買ってもらい、それを元手に10冊以上を友達から借りて読んだ。
小6になるとアンドレジイドの「初恋」が初めての文学作品との出会いとなった。
背伸びした喜びがあった。   
                   明日は高校生時代・・・・
                  

e0001808_17171933.jpg本を枕に
フーロはお昼ね  

本を読んでいると本についているひものしおりが大好きですぐかじりつきます。図書館の本だと大変。
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# by oss102 | 2006-01-26 17:21 | いとしのネコたち | Comments(6)
私の読書好きの原点
 母のお裁縫の時間が好きだった。
木製の2段重ねのお裁縫箱、上のフタを開くと針山、指抜き、にぎり鋏、引き出しにはきれいなとりどりの糸が入っていた。
母がくけ台の上に座ると、私たち3姉妹は母の回りに集まって「お話して」「おはなしして」と口々にせがんだ。兄たちも時々はいたと思う。

母は「何のお話がいい?」と聞く。「巡礼おつるがいい、先代萩!!」とそれぞれ言う。「あんたたち、泣くからねぇ」「今日は絶対泣かないから」3姉妹は口々に約束する。だがさわりになるとボロボロ泣く。
母は何十回となく話した話を、糸切り歯で糸を切ったり、針に糸を通したりしながら話す。
ときどき話の順序を変えたりすると「そこは違う」と私たちは抗議する。

母はその話を母の祖母から聞いて育ったという。 後になって知ったが、それはほとんど有名な浄瑠璃の話だった。

アイロンのフタをあけて火鉢の赤い炭を、フッと息を吹きかけて入れる。火鉢にはもう1本の柄の付いた小さいアイロンがささっている。
それらを縫い物に当てているときは、集中力がいるのか母は話さない。
私たちは話の続きを聞くのが待ち遠しくて、じっと母の動作をみつめていた。

話が終わらないうちに、「ハイ 続きはまた明日ね」と言われることもある。
待ち遠しかった。 が続きの内容は知っているのだ。
今はほとんど忘れてしまったが、沢山の話を聞いて育った。

 それが本好きになった原点だったのだなぁと思う。
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# by oss102 | 2006-01-25 19:57 | 日々のこと | Comments(3)
フランソワーズ
 娘が4年生になったころ、かなりいい話相手になってきた感じがした。
長男が7才、次男が1才。30代の私は、専業主婦ながら忙しい毎日だった。
秋になればセーターをほどき、洗い、またそれぞれに編み込みのセーターなどを編んだ。洋服も手作り、庭の畑仕事もした。
夫は几帳面な性格で、散らかった部屋を嫌った。夫が帰る時間前には、夕食の支度は勿論のこと、拭き掃除、片付け。どこでもそうだったろうが、私もそれなりに真面目に主婦していた。・・・と思う。

あるときテレビを見ていた。貴族の立派な部屋に、貴婦人が刺繍をしていた。貴婦人は刺繍をしながら、「フランソワーズ!飲み物を!」「フランソワーズ!あれをして!これをして!」と召使に次々と命令していた。

私はそれを見て、娘に「お母さんもフランソワーズがほしいよ」と言った。それ以来母娘の間では、度々「フランソワーズがいたらね」と話題になったものだ。

今、土日は娘が食事係りである。夏ならテニス・パークゴルフで遊んで帰り、シャワーの後、日暮れまで無心に花の手入れをする。夕食は日没後、娘が合わせてくれる。
冬はスキーして帰って、床暖に腹ばいになって本を読む。「お母さん 何時ごろ夕食がいい?」「ウ~ン 6時半ころかな」 お風呂にゆっくり入って、食卓に並ぶ夕食、それがなんであれ「あ~~幸せ~~!」と叫ぶ。

フランソワーズがいたのだ。

勿論、娘が仕事に行くウイークディは、私がフランソワーズである。

e0001808_118395.jpgこんな猫の手では役に立たない。
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# by oss102 | 2006-01-24 11:37 | いとしのネコたち | Comments(7)