仔猫時代 今でもず~っと仲良し
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本好き その2
 道南の高校に汽車通学するようになった。
駅前の本屋に入り浸り、1日数本の汽車しか通らない待ち時間を立ち読みで過ごした。1冊60~100円の角川、岩波文庫を買い、往き帰りの各40分の時間は本ばかり読んでいた。
倉田百三、室生犀生、伊藤整、トルストイ、ドフトエフスキー、ツルゲーネフ片端から読んだ。アンナカレーニナを読んだときは、丁度試験前で、学校をサボリ、本を読むためにサボルということに、いっぱしの文学少女を気取っていた。鼻持ちならぬ少女時代。
母は「あまり本ばかり読んでいると、不良になる」と心配していた。一時は不良にも憧れ、自殺にも憧れた。 まぁ誰でも通る思春期の道ではあったのだろう。

そんなころ赤毛のアンに出会い、夢中になって読み、これは母や姉も読んだ。この本は借り物だったが、働くようになって自分でも全巻買い、これは今でも持っている。

高校で初めて図書の並ぶコーナーを見た。中学のときは新制中学になりたてで、まだ設備も整わず、1時期などは、小学校の教室を借りて、thes is a pen とやっていたくらいだから、図書コーナーは無かった。
ずらりと並ぶ本の列に興奮を抑えられなかった。活字でさえあればよかったのだから、本の内容よりも本であることに感動した。

私は本好きだったのに、自分の本を持つということが、極端に少なかった。
白洲正子が、本でもなんでも、自分で買って手許におかないと身に付かないと言っていた。

もっと良い本で育っていたなら、もう少しましな私が出来上がっていたような気がする。

e0001808_12144232.jpg

今日は2匹で。 次回は最終篇
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# by oss102 | 2006-01-27 12:20 | いとしのネコたち | Comments(1)
本好き その1
 身の回りに本など余りなかった時代。きれいな色も回りに無かった頃、たまに出会う絵本。
今でも思い出す。 縁側に座っている母親に幼な子が肩を叩いている。庭にはトンボが飛んでいて、きれいな花が咲いている。母親はとても優しい顔をしている。
見開き一杯の絵だから幼児向けなのだろう。小学低学年になっていた私は、放心したように、甘やかな気持ちにひたっていた。

樺太にいた小学生時代。誰かが持ち込んだ本の回りにむらがる。休みの時間に7・8人もオカッパ頭をくっつけて、シラミを移しっこしながらひと山になって聞く。 読み手は大抵私だった。
小公子、小公女、岩窟王、母を訪ねて3千里、フランダースの犬、こうして本と触れ合っていた。

小5で終戦をむかえ、引揚者となって道南の田舎町で暮らした。
そのころの活字とのふれあいは、トイレの落し紙だった。婦人雑誌を切ったものが箱に入っていた。大人向けだが活字には全部ルビがふってあった。切ってあるのをつなぎ合わせて読んだ。
戦後沢山出版されたエロ本もこっそり読んだ。兄がかくしていたものを持ち出したのだ。
大人の世界には何かあると知ったのもこのころだ。

ボツボツ少女小説が店に並ぶようになった。吉屋信子、円地文子の少女小説。親にねだって1冊買ってもらい、それを元手に10冊以上を友達から借りて読んだ。
小6になるとアンドレジイドの「初恋」が初めての文学作品との出会いとなった。
背伸びした喜びがあった。   
                   明日は高校生時代・・・・
                  

e0001808_17171933.jpg本を枕に
フーロはお昼ね  

本を読んでいると本についているひものしおりが大好きですぐかじりつきます。図書館の本だと大変。
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# by oss102 | 2006-01-26 17:21 | いとしのネコたち | Comments(6)
私の読書好きの原点
 母のお裁縫の時間が好きだった。
木製の2段重ねのお裁縫箱、上のフタを開くと針山、指抜き、にぎり鋏、引き出しにはきれいなとりどりの糸が入っていた。
母がくけ台の上に座ると、私たち3姉妹は母の回りに集まって「お話して」「おはなしして」と口々にせがんだ。兄たちも時々はいたと思う。

母は「何のお話がいい?」と聞く。「巡礼おつるがいい、先代萩!!」とそれぞれ言う。「あんたたち、泣くからねぇ」「今日は絶対泣かないから」3姉妹は口々に約束する。だがさわりになるとボロボロ泣く。
母は何十回となく話した話を、糸切り歯で糸を切ったり、針に糸を通したりしながら話す。
ときどき話の順序を変えたりすると「そこは違う」と私たちは抗議する。

母はその話を母の祖母から聞いて育ったという。 後になって知ったが、それはほとんど有名な浄瑠璃の話だった。

アイロンのフタをあけて火鉢の赤い炭を、フッと息を吹きかけて入れる。火鉢にはもう1本の柄の付いた小さいアイロンがささっている。
それらを縫い物に当てているときは、集中力がいるのか母は話さない。
私たちは話の続きを聞くのが待ち遠しくて、じっと母の動作をみつめていた。

話が終わらないうちに、「ハイ 続きはまた明日ね」と言われることもある。
待ち遠しかった。 が続きの内容は知っているのだ。
今はほとんど忘れてしまったが、沢山の話を聞いて育った。

 それが本好きになった原点だったのだなぁと思う。
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# by oss102 | 2006-01-25 19:57 | 日々のこと | Comments(3)
フランソワーズ
 娘が4年生になったころ、かなりいい話相手になってきた感じがした。
長男が7才、次男が1才。30代の私は、専業主婦ながら忙しい毎日だった。
秋になればセーターをほどき、洗い、またそれぞれに編み込みのセーターなどを編んだ。洋服も手作り、庭の畑仕事もした。
夫は几帳面な性格で、散らかった部屋を嫌った。夫が帰る時間前には、夕食の支度は勿論のこと、拭き掃除、片付け。どこでもそうだったろうが、私もそれなりに真面目に主婦していた。・・・と思う。

あるときテレビを見ていた。貴族の立派な部屋に、貴婦人が刺繍をしていた。貴婦人は刺繍をしながら、「フランソワーズ!飲み物を!」「フランソワーズ!あれをして!これをして!」と召使に次々と命令していた。

私はそれを見て、娘に「お母さんもフランソワーズがほしいよ」と言った。それ以来母娘の間では、度々「フランソワーズがいたらね」と話題になったものだ。

今、土日は娘が食事係りである。夏ならテニス・パークゴルフで遊んで帰り、シャワーの後、日暮れまで無心に花の手入れをする。夕食は日没後、娘が合わせてくれる。
冬はスキーして帰って、床暖に腹ばいになって本を読む。「お母さん 何時ごろ夕食がいい?」「ウ~ン 6時半ころかな」 お風呂にゆっくり入って、食卓に並ぶ夕食、それがなんであれ「あ~~幸せ~~!」と叫ぶ。

フランソワーズがいたのだ。

勿論、娘が仕事に行くウイークディは、私がフランソワーズである。

e0001808_118395.jpgこんな猫の手では役に立たない。
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# by oss102 | 2006-01-24 11:37 | いとしのネコたち | Comments(7)
ときどきはネコにも登場してもらわないと・・・・
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閉店セールで買った、スキーウエアのフードについていたファファですが、安っぽくて気に入りません。外してショウマの首に巻きつけてやりました。
チョット神妙なおかしな顔をしていましたが、そのうち遊ぶのか、取ろうとしてか、かなり派手に立ち回りを始めました。でも100円ショップの耳掻きの親分ほどには、興味が持続しません。


今日のふた言。

「誰にでも出来て、生きていくのにとても必要なもの」 
「それは何?」 答えは「笑顔」
  
                あるデパートの広告の文面


 自意識の しっぽが火傷するまでに 意識の床をひきずりゆけり
       
                    西村美佐子歌集「猫の舌」より
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# by oss102 | 2006-01-23 10:41 | いとしのネコたち | Comments(1)
滑る姿は40代  歩く姿は・・・・・・
 キロロ山頂-16度 快晴
今日はクラブの人たち9名で、キロロスキーでした。
快晴で冷え込みも強く、かなりの低温が予想されました。
ホッカイロも背中用、足裏用と用意していきましたが、そんなに寒くありません。
日射があるのと、無風のせいです。
山頂は樹氷、マンモス、青空と100点満点のスキー日和です。写真に撮ってブログに載せたかったと残念でなりません。

雪良く、ゲレンデの整備よく、思い切り大きなターンでスピードを上げます。ノンストップでリフト下まできます。
これが70ばぁさんかと、我ながら感激します。

だがしかし、昼食を終えてゴンドラ乗り場までのゆるい坂がしんどくてなりません。
昨日は午前中は天狗へ行きました。今年は雪も多く、厳しい寒さですから雪質は上々。
天女の舞かとうぬぼれて、サテ駐車場へ。
下りの坂道はツルツルです。スキー靴は歩くことを想定していませんから、とても滑りやすいのです。スキーをかついで転んだら、かなりの打撲か、骨折か。
転びたくないの一心で、コワゴワ一歩ずつ歩きます。若者はその道をドンドン歩いています。

滑っているときは、40代の若さでも、歩く姿は70バァさんです。
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# by oss102 | 2006-01-22 17:23 | 日々のこと | Comments(5)
雪降ろし 余話 友人篇
 数日前に、私の友人の夫が屋根から落ちて、骨折、救急車のお世話になったと書いた。
その友人からメールがきた。

なんだか病院という名のホテルに、ぬくぬくとひたっている殿の首を引っ張り、13日に退院させました。
娘達が屋根の雪降ろしをしたら、殿は婿さんへ1万、娘へ5千円、雪をちらかすだけの孫に500円の大盤振る舞い、おまけに小樽バインで昼食8千円ほどご馳走し、満足しております。
彼らは、また来るよとルンルン気分でおかえりあそばしました。

                 中略

株等で億と稼いだらマンションを買うぞ、雪はさすがに疲れた。おばさんが朝里のケアハウスにいるので見てごらんというので、昨日行って見てきましたが、若さを吸い取られそうな人達ばかり、まだ早いかな~と諦めて帰り、マイカル横のマンションを見せてもらい、テレビつきの風呂、なんだか別の世界、またあきらめて寒い家に帰ってきました。

アハハ、面白い!! 殿の顔が見えるようだ、ネットにメーリングせよとReメールしたが無視されたのでここに、無断掲載することにした。
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# by oss102 | 2006-01-21 14:46 | 日々のこと | Comments(2)
中田厚仁のこと なくてすむもの
 平成5年のことだから、もう13年ほど前のことになる。
国際ボランテアとしてカンボジアに行っていた中田厚仁が、銃撃を受けて亡くなったことを記憶している人は、まだ多いと思う。

父中田武仁が書いた「息子への手紙」の1部分を紹介させてもらう。

厚仁が生まれたとき、父親になった武仁はその母親からこういわれた。
「子供は親の言うことを聞いては育たない。親のすることを見て育つ。だからもしお前が厚仁を不服と思うなら、それはお前自身に対する不服と思いなさい」
武仁はその気持ちを忘れずに子供に接してきた。

ポーランドに赴任した彼は、大学までつながっているエリート校に入っていた子供たちも連れて行く。
小学4年でアウシュビッツを見学した厚仁は、そこが精神の原点となっていく。

大学2年で留学するため「ロータリー財団」の奨学金を得る試験にパスした彼は、オワイオ州のグリンネルに留学することになる。

そこで彼は、もっとも刺激を受け、一生心に残る言葉を贈られたという。
グリンネルに入学した直後に、ある先生から言われた言葉だ。
「厚仁、あなたは何かを求めてグリンネルカレッジにやってきたのかもしれない。それは当然のことでしょう。しかし貴方が何かを求めているのと同じように、貴方は必要とされている人であり、求められている人であることを忘れないでください。」

カンボジアに行って彼は、250人を指揮する立場になる。

現地に行って、「日本にあってカンボジアにないものが沢山あった。けれども暫く暮してみたらそんなものはなくて済ませられる。」

現代人の心の原点に響く言葉である。

便利だということは一人でも生きられるということ。他人に干渉されずに生きられるということ。
まわりの助けがどうしても必要だった昔の暮らし。生きるためには折り合いが必要だったのだ。
そうして得た自由と引き換えに失ったもの。
人間同士に揉まれずに脆弱に育った人間の心の闇がある。

なくてすませられるものを、身の回りに一杯おいて、それに追われてあくせく生きている我々の生き方を考えさせられる。
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# by oss102 | 2006-01-20 10:49 | いとしのネコたち | Comments(2)
久しぶりのオエカキです。
 6月以来のオエカキです。
サボりにサボっていたので、ツールの使い方も忘れそうです。いつかオリジナルをとの野望も、この不勉強ではやっぱり塗り絵になります。

今月のテーマは「雲」です。 積乱雲とかなんとかとか先生にお習いしましたが、難しいです。
雲なんて、物凄くキリがないほど様々な形になるのだから、どう描いたっていいのだ!と思うのですが、やっぱりドウモ~といった出来上がりになります。
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  斜里岳遠望 手前はじゃがいも畑
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  雲のある風景 
いずれもオエカキの先生の絵を下絵にしたものです。

面白いもので、同じ人が同じ下絵で描いても、2度と同じ絵は描けません。みんなそれぞれの筆の使い方、不透明度の違いで、違ってくるのです。違うだけならいいのですが、それぞれのセンス、うまい下手が出ます。
でも、オエカキ幼稚園生は描けたかけたと喜んでいます。一心不乱になります。

これを描いていて、せっかくの薄味のオデンを煮詰めてしまい、味が濃くなりがっかりでした。
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# by oss102 | 2006-01-19 11:25 | オエカキ | Comments(2)
ニュージーランドのカーディガン
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 もう十数年前になるが、ニュージーランドにスキーに行った。
桜がチラホラという季節であったが、帰国の日は雪が降って、とても寒い朝となった。
バスの車窓から、一面、白になった広い草原に羊が立ちつくしているのが見える。
山には降るが、滅多に下には降らないのだ。

クライストチャーチの空港で待つ間、余りの寒さにウールの靴下を買った。足がとても冷たかったのだ。日本円で2500円もする。勿体無いと思ったが、風邪をひくよりましと思って買った。
グレーの面白くもなんともない男性用の靴下である。その場で靴下をはいて、足の冷たさは解消した。 とても暖かい。

オークランドに着いて、何か記念になるものをと、カーディガンを買った。15000円ほどした。
帰国してこの2点、数回は着ただろうか。 あまりに暖かすぎるのである。
床暖房では、この靴下は暖かすぎだ。スキー靴も今はパンスト一枚でもはけるほど、インナーブーツが良くなった。
部屋が暖まるまでの少しの間、カーディガンをはおってみたが、モヘアなので首のあたりの感触が良くない上に、すぐ暑くなる。フリースの方がずっと着心地がいい。

今はバスも車も暖かいし、建物の中もあたたかい。
冬物売り場でも、冬向きのデザインにしてあるが、かなり薄手のものが多くなってきた。
コートだけ暖かいものがあれば、それで良い。

着ないものはすぐ捨てる主義の私も、これはなかなか捨てられずに、失敗の買い物の記念になっている。
何かあって、体育館にでも避難しなければならなくなったとき、役立つであろうか。
e0001808_11521323.jpg記念の写真を撮って、フト見るとフーロが心地よげに丸くなっていた。役立ちました。
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# by oss102 | 2006-01-18 11:58 | 日々のこと | Comments(3)