仔猫時代 今でもず~っと仲良し
by oss102
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スキー  その3
 シーズン会員は会員室が使えた。スキー靴をぬいで昼食をしながら、その日のクラスの人や仲間とのおしゃべりを楽しんでいた。 なんとなく席も決まっていた。

その会員室に毎日きている男性3人がいた。高校を出たばかりの若者2人、その若者は中学のときの息子の同級生だった。もう一人は、二人に先生と呼ばれていてた。
喫茶店を奥さんにまかせている27・8才の男。
彼はマザコンで年のはなれた私を気に入ってくれて、オフピステに毎日連れて行ってくれた。

彼は物凄いスキーをしていた。コブの急斜面の頭を高速で大パラレルしていく。
今でこそカービングスキー全盛だが、その当時から足は開脚にして、スキーの両側4本のエッジを使って4駆の滑りをするといい、目の覚めるようなターンをした。
今なら皆理解するだろう。その頃は足をピッタリつけて滑るのが上級者という時代だった。
彼は、10年以上スキー技術の先取りをしていたのだ。

折角ついてきた足を開脚にするのには抵抗があったが、彼らとのスキーは楽しかった。
大きくせり出した雪屁から、ジャンプしてくる彼らの深雪ショウーを毎日見て楽しんだ。
そのころ女性でそんな林間に入っていく人は少なかったので、知らない間に深雪の女王などと噂されるようにもなっていた。
オフピステを滑ってゲレンデに出てくると、羽毛布団の上からコンクリートの道路に出てきた感じだった。

そのうち、スクールで知り合った人たち、1匹狼で滑っていた人、女性も一緒に滑るようになってきた。 物凄いスキーヤーと思っていた3人組が、私がいつも一緒にいることで安心感もあったのだろう。
マザコン男も淋しがりやの話好きで、人を慕うタイプだった。この集団はこの男の姓をとってKK軍団と呼ばれていた。

私はしがない喫茶店のオーナーの彼に、冬休み、春休みのスキースクールのお膳立てをしてやった。朝里のスキースクールバスの抽選もれの子供達が沢山いた。
子供達の講師を頼まれたが、私は受けなかった。子供の相手は若者がいい。事実昼休みの若者の周りには子供達がぶら下がって歩いていた。
スキーを教える自信はあったが、私は昼休みはのんびり友達とおしゃべりして過ごしたかった。
        つづく
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      朝日がさしてきたところ、今日も店番にならない2匹が頑張っています。
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      なにやらグルグルまわって、フーちゃんを挑発しているショウマです。
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# by oss102 | 2006-03-05 18:54 | いとしのネコたち | Comments(7)
スキー  その2
 リフトで上がっていくと、リフト下を上級者がウエーデルンで滑ってくる。
どの人も同じに見えた。 少し経つとそれぞれの違いが分かるようになった。目は肥えたが技術のほうは、はかばかしくなかった。
講師は若くて恰好良かった。あの先生の教え方がいい、この先生が好きとロッカーの主婦はかしましかった。
その初心者時代に、まだペイペイの見習い講師だった若者が、7・8年もするとスキー雑誌のグラビヤを飾るようになり、20年経ってキロロの校長になったりしている。

その頃、朝里にスキー学校が出来ることになり、私たちが習っていた講師が引き抜かれていった。数でまとまっていた私たちにも声がかかり、団地から朝里までの送迎バスを無料で出すという。
私たち3人が世話役になって、火曜コース、水曜コース、週2度コース等と、キメ細かに作って人数集めをし、マイクロバスをほぼ一杯にした。
子供も大きくなっていた私は、週5回毎日通った。

夫は働き盛りの40代、帰宅時間も遅く、私のスキー狂いはトントご存知なかった。

時代の要請もあってか、団地の特性でもあってか、冬休みのスキースクールは大型バスを頼んでも足りなくて、抽選で決めなくてはならないほどだった。

今だったら、企業化してひと儲け出来たのに、そんなことには無知だった私たち主婦は、シーズン券を無料にしてもらうことで充分満足していた。
スキー学校も出来たて、集団で通う私たちを大切にしてくれて楽しいスキー生活だった。

何年か通ううちに物足りなくなった私は、手稲ハイランドにも通うようになった。
以前に習っていたスキー場よりもっと山頂の、急斜面の多いスキー場だ。今と違って、急斜面には圧雪車が入れず、コブだらけだった。

そこには三浦雄一郎のスキースクールがあった。
そのころ、朝里で自衛隊上がりの講師に、いきなり急斜面の新雪に放り込まれ、新雪滑りの味を覚え始めていた。
スクールの講師にねだって、オリンピックに使われた後の男子大回転あとの、圧雪しないコースへ連れていってもらい、急斜面の新雪、深雪を滑った。
初めは何度も止まったが、そのうち段々コツをつかんでいった。

スキースクールの上級班で知り合った人は、ウイークデイに通った事もあって、ハイヤーの運転手、丘珠空港の管制官、月曜だけ現れる幼稚園の園長さん、左官屋兄弟といったところだった。
スクールでは本州からのツアー客とも滑るので、上級クラスでも新雪の上手い人は少なく、転んでばかりいるので時間がかかり、午前中1本だけということもしばしばだった。

三浦雄一郎とそのスタッフでの春の旭岳、ニセコツアーなどの一泊スキーなども、仲間と一緒に楽しんだ。        つづく

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          ショウマとフウロのどアップ。フーちゃん凄み利いてるでしょ。
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# by oss102 | 2006-03-04 13:57 | いとしのネコたち | Comments(8)
スキー  その1
 新興団地の主婦たちはすぐ仲良しになる。
年代も収入も似たような所帯で、移植されてきた人たちばかり。友達が欲しい。
その頃は、今のようにパートで働くということもあまりなかった。

数人の仲間で週1回、手稲オリンピアのスキー学校に習いに行く事になった。チラシ広告かなにかで知ったのだろう。
そのころ我が家にも仲間の家にも車は1台もなかった。汽車で行くのである。子供を学校へ送り出してから、汽車で30分ほど、歩いて7分ほどのところから送迎用のバスでスキー場へ。スキーはロッカーに預かっていた。

私は上の息子のお下がりのスキー用具一式であった。午前中だけレッスンを受けて、帰りの汽車の中でお弁当を食べ、帰ると子供の帰宅時間に間に合った。
リフトに乗りながら、夢のような贅沢だと思った。

私が若い頃夢見る生活とは、丸太小屋のロッジに、暖炉のそばに立てかけてあるスキー、なにかの映画で観たシーンなのだろう。 憧れていた。
長姉は、西洋の豪華な裾裳ひるがえしての晩餐や舞踏会と、姉妹はよく話し合ったものだった。

小さいころはつっかけスキー、小学生になると兄のお下がり、樺太にいたが、今のように曲げ方なんて教えてくれなかった。引き揚げてきてはスキーどころか、荷物運びのソリに7・8人も乗って、「去れよ~~」とやっていた。

週1度のスキーを楽しんでいたとき、夫婦で会員になっていた夫の方が病気でスキーを続けられなくなった。買ったばかりの1ヶ月の会員権を私に無料でくれるという。スキー場の了解も取ってあるという。
そこでケチな主婦の私の心に火が点いた。通っても通わなくても1ヶ月。全部通った。
満期の保険でスキー一式とウエアも買った。もう40過ぎているのだから、私の最後のスキーと思った。

後のちまで笑い話にされていたことがある。友人が1ヶ月会員になって私も誘われたとき、「毎日スキー場へ通うなんて、健全な主婦のすることではない」 私はこう答えたのだった。

講習のバーンはなだらかだったが、リフトを下りると曲がって講師の前に並ばなければならない。真っ直ぐいけば木にぶつかる。立ち木にぶつかる恐怖なしに、講師の前に行き過ぎもせず、スーッと止まれたらというのが最初の目標であった。   つづく
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    おひなさまはありませんので、オスの揃いねこ。 フーちゃん、なんの匂い?
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    ショウマが身づくろいしているのに、おせっかいなフウロはなめなめします。
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# by oss102 | 2006-03-03 12:39 | いとしのネコたち | Comments(11)
テニス
 テニスを始めたのは40才。生まれて初めてラケットを持った。
スキーを2年ほど前に始めていたので、夏期トレということで仲間と始めた。

新興団地の分譲団地を35年ローンで払いながら生活していた。
家から2・3分のところの沢状になったところにテニスコートが2面出来た。テニスコートが出来るまでは、そこで夫とウドや、わらびや、タランポの芽を採っていた。

娘が高校で硬式テニス部に入っていた。コナーズがどうの、ボルグがどうのといい、ウッドのラケットを振り回していた。 そのお下がりをもらった。

運動会のカケッコでは早いほうだったが、どうも用具を使っての運動神経は駄目だ。
打つためには、引かなければならないという事が、中々体で覚えられなかった。
それでも外で走りまわるのは快適だった。
埋蔵文化財の発掘、HBCのパック2のパートをしながらでも、続けていた。

52才で小樽に越してきて、以前の仲間が紹介してくれたクラブに入った。初心者が沢山いる年齢的にも馴染みのいいクラブだった。
クラブの例会日以外は、その仲間と市のコートで知り合った、腕前が似たような人に声をかけて、土日はびっしり楽しんでいる。男性が少々多い。

グンと上手くなっていく人は「もっと上手なグループに入らないと上を目指せないよ」と親心で追い出す。たまに新しい人が入ってゲームをすることがある。長年身内のような感じでダレてやっていたメンバーは、いいとこ見せたくてハッスルしてゲームする。矢張り新しい刺激は必要なのだ。
最高齢の76才の男は疲れるので、やたら新人を教えたがるようになった。生徒が慕うのではなく、先生が生徒を慕っている感じだ。(*^。^*) 男はいつも優位に立っていたいのだ。

やってもやっても上手くならない人の、吹き溜まりのようなグループである。
みんな欲が無いので、和気あいあいである。
        ゲームの合間のおしゃべりがなんとも楽しい。
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ショウマのお手入れシーン。今日外出から帰ると、フーロがズルリンと出てきた。普通に出てくると、ロープでつながれるので、背中で這ってズルリンと出てくる。ブラシをかけると物凄い勢いで毛が抜けてきた。ヒャーッ、こんなに家の中でも毛が抜けてるのと驚いた。
        梅も桜も咲かないけど、たしかに春でございます。
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# by oss102 | 2006-03-02 17:36 | いとしのネコたち | Comments(9)
サークル
 私はサークルが好きである。
子育てに手がかからなくなり始めた30代の後半から、サークルに入った。

初めはPTAの延長のような婦人学級、講師を招んで話を聞いたり、文集などを作った。
そこでKさんと姓で呼ばれることが嬉しかった。それまではKさんの奥さん、Yちゃんのお母さんと呼ばれ、Kさんと姓で呼ばれることは無かった。結婚以来初めてのことで、新鮮な気分だった。

延長線上で、スキー、テニスと始め、それぞれのクラブに入った。サークルではないが園芸教室にも2年通った。
3年前から、現在180名ほどのシニアネットの会の仲間入りをしている。
その会の中にあるクラブ、パークゴルフ、デジカメ、オエカキ、フラダンス、スキーに所属している。
ブログの延長で、本州の方たちとの、書くことの好きなグループにも入れてもらった。
私は、お茶のみ友達との付き合いが苦手である。不意に訪問されたり、したりは、心の準備が出来ていないので嫌なのだ。 自分でも自閉症気味と思う。

初めからスケジュールがあって、その都度約束しなくても、そこでなにかしらすることがあって、仲間がいるという関係が一番落ち着く。
友人は転勤したり、様々な事情で会えなくなったりするが、サークルだと止める人もいれば入る人もいる。
サークルの性質上、必ず世話役が必要になるが、それは交代で担う覚悟は充分にある。

転勤先でも、引越し先でも一人ぼっちは淋しい。子育て終わってみればPTAとのつながりもなくなる。沢山のサークルに入って、忙しく日を送っているのが一番だ。 サークルは楽しい。

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3月に入りました。まだまだ春には遠い感じですが、気分だけはと流氷から桜に替えました。

   本当のお花見は、4月下旬か、ゴールデンウイークか・・・・・
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# by oss102 | 2006-03-01 15:47 | 日々のこと | Comments(12)
忘れられないように、今日のショウマとフウロ
 まだ路地は窓の下まで雪があります。ショウマのピンクの鼻先で温度想定してください。
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 夕食後、ひとしきり騒いだ後はタップリ寝ます。フウロの顔にはシマシマがあるので、寝ている顔は、目をキュッと閉じてしるようで、いかにも「ねむい!!」といった感じになります。
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 そろそろ起き出してワルサが始まる時間です。フーちゃん、まだ眠いのに無理して起きなくても・・・・
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 幸田文が作った言葉なのか、昔からいわれていたのか、私は幸田文の本で、この猫座りが香箱と言う事を知りました。今の人は知らない人が多いと思いますが、キリッとしたいかにも猫本来のすわりかたと思います。
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# by oss102 | 2006-02-28 11:08 | いとしのネコたち | Comments(10)
こんないい人見たことない
 私が入っているスキークラブの世話をしてくれている男性がいる。
彼Kさんにはいつも頭が下がる。 面倒見が良い。 謙虚である。 やさしい。

クラブ員にお知らせや、会計報告すべてやって、スキー場の特別な割引券の世話もしてくれ、大雪の小路の悪路を乗り越えて、仲間の自宅まで届けたりする。

毎年恒例の納会ジンギスカン、買い物、野菜の刻み、用具、椅子から全部とりそろえて、後始末全部する。
私たちは、あぁ、おいしい! おいしい!と言っているばかりだ。

スキーも上手い。上手いのに教えるときには、自分のスキーの師はこう言っていたという言い方をする。「中々左足に乗れなくて」というと「俺は右足に乗れないんだ」と同調する。

宿泊旅行のときは、大いびきの仲間と毎回同室にする。奥さんも一緒のときは、飛ばしやにならず、低速組に入る。
いくら私が一緒に滑るから、好きに滑ってと言っても、さりげなく面倒をみている。

57歳で商大を退職したのも、「スキー三昧したいから」と自分ではいうが、後輩が自分が60才までいては、課長職になりそこなうからと聞いた。

奥さんの父親と同居しているが、失禁を繰り返すその面倒もよくみている。
夏はテニス、冬はスキーと付き合っているが、ボロをみせたことがない。

こんな人が日本男性にいるなんて、奥さんはいいクジ引いたねぇと仲間で話し合っている。 

 この人のおかげで、私のスキー生活がある。 頭が下がる思いである。
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# by oss102 | 2006-02-27 12:42 | 日々のこと | Comments(9)
うまいもの
 地方、地方でうまいものはあるだろうが、小樽に住んで良かったな~と思うのが、魚介類の新鮮さ。 いまはどこでも流通がよくなって、どこにいてもおいしいものが食べられる。 だが高価い。

地元の強みは、流通に乗らないはずれ品が安く手に入ることだ。
シーズンになれば、手のひらサイズのまがれい。手からずり落ちる新鮮さだ。

夫がいたころは、夏によくかれいを釣ってきた。レントゲンがれいといって骨が透けて見えるほどの小ささだが、これをから揚げする。 甘い! うまい! 
これがスーパーで手に入るのだ。5・6枚入って98円だったりする。

チョット身の欠けたホタテの貝柱。「こんなくらいで規格品から外されるなんて、生産者に気の毒だよねぇ」と娘に言いながら、その安さを甘受している。 
手抜き料理には新鮮さが一番、青じそ入れて海鮮丼。うまい!!砂糖の甘みは苦手な私だが、新鮮な素材の甘みはおいしいと思う。

夏はチョット車で走れば有機栽培のブルーベリー、ビニールハウスに入れて貰って、直接鋏みで切り取らせてもらえるトマト。  有難いことだと思う。

だが人間1度おいしいものを食べると、まずいものが食べられなくなる。

カニは昔から好きだった。おいしいと思っていた。
何年か前、タラバガニのチルドを持って、年末スキーに行った。山のロッジ仲間と食べたが、抜群のおいしさだった。
それから年末スキーは、毎年カニ係りになったが、おいしかったのはその年だけで、味が格段に落ちた。あの味が忘れられなくて、もう普通に売っているカニは食べたいと思わなくなった。
本当のおいしい味をしめると、不自由になるものだ。
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# by oss102 | 2006-02-26 15:58 | 日々のこと | Comments(5)
体のメンテナンス  出来なかった篇
 人間は筋肉で動いている。
筋肉がなければ、いくら脳からの指令があっても動けない。介護の分かれ目も、上半身を起こして座位がとれるかどうかだという。 それが出来なければ寝たきりになる。

そこで筋力アップとなる。テレビ、雑誌でイヤというほど、体によいもの紹介がある。
森光子は一日150回のスクワット、寂聴は150回の膝上げ足踏み、三浦敬三の100回ベロ出し、一日1万歩、ヨガポーズ、書き出したら何ページも埋まるほどの情報がある。
私はというか、普通の人はお尻に火が点かないと励めない。予防というのは難しい。

脳力アップ講座というものがあって、無料だし、冬になって暇になったので出てみた。
せいぜい2ケタの足し算、引き算、乗除がある。それをタイムを計ってやる。小学3年程度からの読み書き、小6くらいになると怪しくなる。難読もある。これは得意分野だ。
音読も一日5分と宿題が出る。音読は慣れてくれば、活舌がなめらかになってくるのが分かる。声を出すことの少ない生活には有効である。
だが、音読は内容が読み取れない上、じれったいくらい遅い。これもなかなか続かない。

矢張り努力にはかなわない、と思いつつも継続する努力というのは難しいからこそ、テレビ等で賞賛されるのだ。

かくてなにもしない私は、普通に老いていくのだ。


昨日は歯医者に点検に行ったので、勢いで体のメンテナンスについて、あれこれシリーズで書こうとしたが、考えてみたら、やってみようとしたことは沢山あるのだが、やってなかったことに気がついた。 
   
    シリーズになりませんでした。 ゴメン
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# by oss102 | 2006-02-25 10:26 | 日々のこと | Comments(7)
体のメンテナンス  歯医者篇
 年を取ると、自由な時間がふえた割には、過ぎ行く一日が早い。
若い頃には全然しなかったことを、沢山しなければならない。

無精者の私には、歯磨き3分などとても出来なかった。そのむくいで、比較的丈夫な歯に生まれついたのに、50代後半で大治療となった。セラミックのブリッジのと大金を投じるはめになった。
そのとき以来、上奥左右とも、各2本ずつの入れ歯が、上あごに馬のくつわのように入っている。
これを嵌められたときは悲観した。こんなもの嵌めて死ぬまで生きるの。

だが人間はしぶとい。すぐ慣れた。今ではこれを嵌めないと力が入らない気がする。
今は滅多にないが、嵌めた当時は歯磨き後、忘れて外出してしまうことがよくあった。
寒いときは、外に出ると、冷たい空気が歯抜けの痕に入ってきて気がついた。噛む歯ではないのだが、それを入れていないと、食べ物がそこに入ってきて噛みづらいのだ。

テニス仲間のジンギスカンの折、それを忘れて行った。迷ったけれど往復1時間かけて家に戻った。「入れ歯忘れた~~」 「あれ 忘れるんだよな~」と同類の仲間。熟年仲間は本当に気が楽だ。

4種類の歯磨きグッズを駆使して、真面目に歯磨きもするようになった。このときの入れ歯が、今でもしっかり口に馴染んでいて、歯医者も「長持ちしますね」とあきれている。

月1回の点検で歯医者通い。歯に赤い色を塗って、アソコとココに磨き残しが残っていると指摘される。毎回どこかしら指摘され、100点はもらったことがない。
セラミックの歯はすぐきれいになるが、自前の歯は、ひびが入ったり、縦筋がついていたりで中々きれいになってくれない。 私自身の骨もこのようなものなのだろう。

炭焼きコーヒーで黒ずんだ自前の歯を、きれいに白くしてくれて270円也。
老人医療は有難い。  だがこれも3月までか・・・・・・
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# by oss102 | 2006-02-24 11:32 | 日々のこと | Comments(3)