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今日は鶴子さんの朗読の日。
私が読みたくてもどうしても泣いてしまうので、諦めて鶴子さんに読んでもらうことにした『エス』を聞きにいった。 この施設は一番顔つきのしっかりした車椅子の方が多い。 『エス』を読みすすむにつれ、私もまた泣いてしまったが、他の方も幾人も涙をぬぐっていた。 鶴子さんは上手い、そして泣かないで読めるからエライ。 私はこの文章をぜひ読みたかったのに、何十回棒読みしてもダメだった。残念。 犬好きなかた、興味のある方は読んでください。 エス 宮城 レイ(随筆家)月間ずいひつ1月号より 抜粋 20年前に出版された本です。 エスは柴犬の血がまざった雑種犬でした。鼻のまわりが黒く、足の短い茶色のエスは、決してスマートな犬とはいえませんでした。 エスが我家にきたのは、私が女学校一年生の昭和十年の秋でした。クラスメートのT子さんの家に遊びに行ったとき、生まれて間もない4匹の仔犬のうちの1匹をもらったのです。犬好きの父はもとより、兄弟たちも大喜びで迎えてくれました。父は、「元気でおおきくなれよ」と頭を撫でながら「エス」という名前をつけてくれました。 当時の我家は、横浜駅の西口から15分の山の上にありました。エスは私たちの言うことをよく聞いて、決して山からはおりませんでした。家のまわりには自然の森と広い原っぱがあり、子供たちと犬が遊ぶのには最適だったのです。エスは、毎朝学校に行く私たちを山の下の四つ辻まで送ってきます。角の赤いポストの前で、「エス、もうお帰り、犬殺しがくるわよ」と、私は声をかけます。エスは頭を上げて尻尾を振って、もどかしそうに足踏みするのですが、鼻をならしてあきらめて帰って行きました。役所の野犬捕獲人を、子供たちは犬殺しと呼んでいました。 エスは父と相撲をとるのが大好きでした。父が庭掃除をする間中、エスは父にまとわり付き相撲をとろうと催促するのです。相撲が始まると私たちはまわりで、「エス勝て!エス勝て!」と声をはりあげて応援します。エスは喜んで芝生中を駆け回り,飛び撥ねて喜ぶのでした。夕方になると、エスはいつも台所の上がり框に顎をのせて母が夕食の支度をするのを見ていました。 エスが我家に仲間入りした翌年には、日本はあの恐ろしい大東亜戦争への道を急速に歩み始めたのです。そうして5年後の12月には真珠湾攻撃のニュースが入りました。 エスはその頃では、我家の一員どころか、山の主になっていました。 父は裏庭に防空壕を掘り、地中の大きな部屋ができました。 昭和18年に入ると、事態はさらに悪くなりました。その年の12月1日、大学生の兄が、第1回の学徒出陣で召されました。当時の若者たちは、この戦争をどのように自分に納得させるかと苦しみました。ある者はそれなりに、ある者は答えの出ぬままに死地に赴いたのです。 空襲のたびに、防空壕でエスとひと晩すごしたものです。エスは警報のサイレンが鳴ると、遠吠えのような声をあげるのです、長い尾を引く哀しい声でした。 7月にはサイパンの日本軍全滅が報じられ、いよいよ本土決戦などということばが聞かれだしたころ、エスにも召集令状が届きました。 指定された日に、犬を神奈川警察に連れてくるようにとの通達でした。 犬の毛皮が必要なのか、それとも食用ににするのか、やり場のない怒りがこみあげてきました。私たちは、なにも知らずに甘えるエスを抱きしめて悩みました。さて、だれがエスを警察に連れて行くかということになりました。父は悲痛な顔をして、「僕にはとてもそんなことは出来ない」と、申しました。弟には学校があります。妹は病床にあり、母もあまり丈夫ではありません。こうなったら私しかないと覚悟を決めたとき、「エスは,私が見送ります」と、母がひとこと申しました。つらいことは、なんでも引き受ける母でした。 母は、エスのために警察に行く前夜、フランスパンを焼きました。フランスパンと言っても、メリケン粉と玉蜀黍の粉をまぜて焼いたものです。それでもイースト菌の香りがしてふかしパンよりずっとおいしいものでした。エスはもうだいぶ年をとっていて、朝も早く起きなくなっていました。母は、エスがハウスからまだ出ないうちに首輪に鎖をつけました。いつもとは違う雰囲気に不安を感じたのでしょう。エスは好物のパンに口をつけませんでした。父と弟は、朝早くエスを抱きしめて別れを告げると、それぞれに逃げるようにして出かけてしまいました。私と妹は、裏庭に咲いていたシオンとコスモスを取ってきてリボンで結び、花束を作りました。うす紫とピンクの花束を黙って母に差し出しました。母も何も言わずに受け取りました。 母はエスの食べなかったパンを持って出かけました。病身の妹も、私といっしょに坂の下まで行きました。花束を抱えた母と鎖につながれたエスの後ろ姿が見えなくなるまで見送ったのです。我家から警察までは、往復約10キロの道のりです。 母はひるすぎにもどって参りました。私たちの作った花束を、警察の手前で首輪に結んでやったそうです。パンを食べさせようとしましたが、母の顔を見上げて食べません。それを見ていた警察官が、『パンは預かりましょう。あとで食べさせますよ』と言ったそうです。母はエスの鎖とパンを警察官の手に渡し、手続きをすませると振り返らずに駆けるようにして帰ってきたと申しました。 父は、帰宅するとそのまま裏庭に回り、十字架を作って建てました。なきがらのないエスのお墓です。十字架の下には、エスが使っていた食器とブラシが埋められました。夕闇のせまるころ、裏庭から父の歌う賛美歌が流れてきました。母と私は、乏しい配給の材料で夕食の支度をしていました。父は、台所から入ってくると、 『今日は辛かっただろうね。すまなかった』 と、母に声をかけました。母の横顔には、ひとすじの涙が光っていました。 翌年の20年5月には、とうとう横浜も大空襲を受けました。私と母と妹は、庭の築山の上で身を寄せ合い、20年の我家の歴史を燃えつくしてゆく真っ赤な炎を、呆然と見つめていました。あとには、裏庭のスロープに十字架だけが残されていました。 学徒出陣した兄が、無事に上海から帰ってきたのは、終戦直後の8月末でした。 私たちからエスの話を聞いた兄は、 『エスは、僕の身代わりになってくれたんだ』 と呟いていました。 今は、父母もエスといっしょに天国にいます。私は妹と九官鳥のナナちゃんとの3人暮らしです。毎日が穏やかに過ぎてゆきます。でも、この平和は、果たしてほんものでしょうか・・・・。 エスが小犬のころ小学生だった弟は、『お母さんが死んだら、僕はエスと庭の芝生で切腹するんだ』と、言ったことがあります。その弟も50才を過ぎ、頭に白いものが目だってきました。兄には孫もでき、好きなピアノを弾くのを生きがいにしています。 こうした私たちの穏やかな日々のかげには、310万人にのぼる戦争犠牲者のあることを忘れるわけには参りません。 愛犬の供出を拒むことはできなかったのかと、戦争を知らない若者が最近、私にたずねました。 私たちのまわりには、愛する夫や息子を、父を戦地に送った方々がたくさんいました。そんな時、愛犬の強制供出を拒むことができたでしょうか・・・・。戦争がなんであるか知らない犬に、「ごめんね」と詫びて見送ったのです。エスは黙って死んでいった方たちの仲間です。 あの時代、日本中の人は誰もが苦しみ悲しみの中で、耐えぬきました。 戦争は起きてしまったらどうしようもないのです。 最近の世界情勢に不安をおぼえます。第2次世界大戦のとき、私は何もできませんでした。 私たちは今、なにをなすべきか・・・・。それは、私に課せられた問題だと思っております。
by oss102
| 2010-06-21 14:56
| ボランテア
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Comments(12)
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あきの
at 2010-06-21 20:46
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確実に進歩していますね。読みたい本があるのもいいですね。
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hanairomimi201 at 2010-06-22 09:25
柴犬というところでもうすでに なみだ目です。
これは泣くでしょう・・。 大阪の天王寺動物園にも終戦間際にこういう運命にさらされた動物たちの話が残っています。 孫と見に行きました。 動物も戦争という悪魔の犠牲者だったのです。
戦争は動物にも悲惨でした。でも悲しい話は読めなくて避けています。
農耕馬も戦争につれていかれたのを覚えています。
犬まで連れて行かれたのですか?。(’’);
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oss102 at 2010-06-22 16:52
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oss102 at 2010-06-22 16:54
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oss102 at 2010-06-22 16:55
kiyokoさん
今回子供向けの児童書を沢山読みました。この召集された犬たちのことも・・・ごめんなさい。読みたくないのでしたね。
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oss102 at 2010-06-22 16:57
こじまさん
犬に召集令状といいながら、殺したのです。ネコもみんな戦争の犠牲者になりました。
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sakura
at 2010-06-23 05:18
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oss102 at 2010-06-23 09:33
sakuraさん
頑張って読んでください。私も沢山繰り返し読めばなんとかなると思って練習しましたが、どうしても涙袋の口が締められず、鶴子さんにお願いしました。人間の悲しいことならなんとか我慢して読めるのに動物となるともうダメです。克服法教えてください。
犬の里親の者で、ふと、このブログに出会い、涙を流しながら読みました。最後のご馳走に手をつけなかった。。。犬は頭がいいから、何かしら感じていたのかもしれませんね。大人たちの都合で、翻弄されてしまったエスくん、私は30代で、戦争を体験していない世代ですが、エスくんのことを思うと、何度も何度も読んで、眠れなくなってしまいました。
大切な文章にめぐり合うことが出来て、本当にありがとうございました。感謝しております。 昨今は、ストレス社会や日本社会の制度の硬直化もあるかと思いますが、立場の弱い動物や人を苛めるような社会になっているような気もいたします。現に、犬猫の殺処分は、50万頭を超えています。皆が最後まで生きれる共生社会を夢見ながら、エス君のような犬が生まれないよう、祈るばかりです。 本当に貴重な機会をいただき、ありがとうございました。 何と感謝申し上げたらよいか分かりません。
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oss102 at 2010-06-28 20:22
goroさん
ようこそ!ありがとうございます。本当に戦争中も今現在も悲惨な生活を送っている動物が多いのが哀しいです。 微力ながら収容所の犬のお世話をさせていただいていますが、先輩たちのおかげでこちらでは殺処分ゼロ、今はお世話する収容犬もゼロで夏休み状態になっています。 こういう町が日本中になればと願っています。 なんだかんだとお喋りブログですが、どうぞまたおいでいただいてコメントを残してくださいね。
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