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南フランスで捕らえれた「アヴェロンの野生児」は
1800年8月パリに連れてこられた。推定11・2才であった。
少年は当時第1級の精神科医ピレネによって「白痴であり、治癒・教育は不可能」と診断され聾唖者の施設に入れられた。
どの野生児にしても、こういう公的機関に連れて来られるまでに色々なところを回されて虐待も受けている。
オリに捕らわれた熊や猪などの映像を想像してほしい。オリのあちこち体をぶつけて吠えあらゆる抵抗を試みたあげく、諦めて隅にうずくまる。
彼も同様であった。連日おおぜいの人に見世物にされた。そしてあらゆることに無関心になる。
この少年の教育に青年医師イタールが敢然と取り組んだ。
イタールは「人は生まれたときは白紙の状態にあり、経験・環境が人間を形成する。この野生児は人間的に生きる経験・環境をもたなかったためにこうした状態にあったのだ。」と考え、野生児の人間化に体当たりする。
顔をそむけたくなる汚い子供。激しく痙攣し発作を繰り返す。絶えず体をゆすり人にかみつく、ひっかく。
前に出されたものはとにかく嗅ぐ。門歯だけを急速に動かす。リスのように植物性のものを食べた。
生存に必要だったろう栗の皮やクルミを割る音にはかすかな音でも敏感に反応したが、音声とか火器の爆発音には振り向かなかった。
暖炉の燃えている薪でも、鍋の熱い湯のなかで煮えたぎっているじゃがいもを平気でつかんだ。手の皮膚は肌理こまかでなめらかだった。
冬、何度も半裸の彼が何時間も湿った地面にうずくまって冷たい雨風に身をさらす。
1度も涙を流したことはなかった。
つづく
この時期戦争が続き捨て子も多かった。ロシアなどでも捨て子はあったと思うがあまりに厳しい気候で生き延びることはできなかったろうとあります。
インドでも沢山の少年少女の野生児がいましたが、大人の野生人は見つかっていません。
少年期を過ぎると母親狼の庇護がなくなるのか、長い距離を狼たちと走ることができずに落ちこぼれてほかの動物たちのエサになるのか、と書いています。
by oss102
| 2011-01-25 11:16
| 本
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