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さて目出度く女学校を卒業すると早速結婚が待ち構えていた。相手は当時月寒連隊勤務の曹長殿であった。家が同じ小花井で休暇に帰ると私の父母を尋ね親しくなった様だ。
父母も竹を割ったようなさっぱりした曹長殿の気性が気に入ったらしく私の婿にと思ったらしい。
私が世話になっていた母方の親戚へしばしば物を頼まれて持ってきてくれた。在学中の或る日、夏休みで帰宅した私を呼んで父が言った。「隆さんは親孝行者だ。親に孝行な人は妻も大切にするもんだ。どうだ結婚しては」
私も嫌ではなかった。父がそういうのならそうかもしれないと思って承諾した。
あ~ぁ・・ここで母の運命は決まったのです。
女学校へ通っていた親戚の家には従兄弟もいて、大学に進学して弁護士になっています。親戚のなかの出世頭です。
母も男だったら祖父も大学へ行かせたと思います。この時代、女の道はがんじがらめで母はその正道をなんの疑いもなく真っ直ぐに歩いたのです。尤も私だって同じこと、結婚はするものと疑いもしなかったのですから、ここで残念がってもしかたありません。
婚約期間中彼は尼港事件で有名なニコライスクに出征し、帰って来たときは見事なあごひげをたくわえていた。「いくらアイツでも結婚する時にはあのあごひげを落とすだろう」と同僚に云われたのが癪でとうとうひげのまま結婚した。
田舎の結婚式は物々しい。
第一日は親戚縁者を招き、二日目は部落のおやじさん連中。三日目は青年達を招いて盛大な披露宴が張られた。
母は、昔とった杵づかで日本髪を結うのはお手のもの。三日間毎日高島田を結ってくれた。
おかげでカモジのうるしにかぶれて頭のテッペンが腐った。式の最中頭から流れ落ちた汗が羽二重紋付の肩に落ちる。姉が拭き役。
この紋付の裾模様は父が図案して京都で作らせてもので、菊の花の咲き乱れた見事なものであった。
このとき母は数え年の20才でした。昔はみんな早婚でした。父は30才と10才違いの結婚でした。
by oss102
| 2012-05-27 13:27
| 思い出
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