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仔猫時代 今でもず~っと仲良し
by oss102
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私の母の思い出  3
 母が一生の思い出を書いたのは64才のとき。それから8年後に父が逝った。寝込んで入院してから105日。母の介護のもとに逝った。父は82才だった。

母ひとりになって兄は僻地へ転勤になり、住み慣れた家を出てそこへ行くかどうかと迷ったとき長姉夫婦が自宅へ呼ぶことにした。札幌は馴染みがあり私たち夫婦もいる。
長姉は最後の親孝行と言った。

私たちや兄弟夫婦も度々姉宅に集まった。義兄が人を招ぶのが好きな人である。宴会は続いた。
そんな中で喜寿の祝があり、姉の発病の兆しがあったのだった。

その後長兄が度々の転勤先へも呼び寄せ同居をした。そのころから母は原因不明の発熱が続いて入院を繰り返していた。80代になっていた。
その入院先へ見舞いに行くと「なんにも食べたくないの・・食事の時間が一番苦痛・・」と言っていた。病院や兄嫁は一生懸命に少しでも食べて体力をつけようと励ましたり叱ったりしていた。

私はこの見舞いの時をハッキリ覚えている。食べたくなかったら食べなくてもいいのに・・
このまま弱って自然に死を迎えてくれたら・・と思ったのだ。私はこんなときから死をこのように考えていたのだ。少しでも長くなんて考えたことはなかった。
兄嫁にそのことを云うと「歩けなくなるよ。」というと母は頑張って食べるという。「だから生きたいのだと」食べたくないのなら食べないでこのまま弱らせるという選択は兄嫁にはなかったのだ。
また医療界にもそういう選択肢はなかった。

長兄が定年になって豊浦の家にもどり改築をして定年後の名誉職をしていたときもすぐ近所の町立病院に入院していた。すでに母は白内障が進み盲目になっていた。
盲目で寝たきりの母は、相部屋で同室の患者や付き添いから「校長先生のお母さんでもオナラが大きいねぇ・・」などと言われていたそうだ。母の耳には聞こえなかったろうが私の心は傷んだ。
「腰紐で首を締めようとしたけど力がなくて死ねなかったの」と云う。私はなにが出来たろうか。

母は97才で逝った。あの食欲をなくした10年前に逝ったら母の人生は大まるで終わったのだ。寝たきりの盲目の10年を削除してやりたい。

母さん 大好きだった母さん 自慢の母さん。私ももうすぐ78才。どんな最後の道がまっているのかしら。             終わり


私の母の思い出  3_e0001808_12544667.gif


by oss102 | 2012-06-07 12:04 | 思い出 | Comments(12)
Commented by souu at 2012-06-07 13:27 x
自分の最後と母の最期 重ねてしまいます。
辛い10年だったとは思いたくないです。お母様は実のお子さんと
良いお嫁さんのお世話になられたかも知れませんが きっとお幸せだったのですよ。
Commented by oss102 at 2012-06-08 09:16
souuさん
有難うございます。それでも晩年の母は幸せだったとは思えないのです。私もそういう状態で生きていたくないのです。でも何事も運命ですものね。生き方は決められるけど死にかたは決められらません。
Commented by sharifa-image at 2012-06-08 11:06 x
私の父も今、お母様と同じ状況です。
自分から食べるということはせず与えられるから食べるという状況です。
ですがリハビリの先生が来るとやりたくないとは言わず懸命にリハビリをします。
生きてまた元気になりたいという気持ちが少しでも父に残っているのなら最善を尽くさせねばと思っているのですが本当のところは
どんな気持ちなのか想像がつきません。
お母様の本心はどうだったのでしょう・・・・
Commented by こじま at 2012-06-08 11:41 x
教養と気品.妻として母として女性として素晴らしいお母様に、しばし声が出ませんでした。天皇家の目に留まった俳句や習字は相当なものですね。周りからも尊敬のされその子供も羨ましがられたでしょうね。97歳まで長生きして、盲目の10年は辛かったでしょう。
OSSさんをみて、この親にしてこの子あり!と思いました。
ありがとうございました。
Commented by fuchan_k at 2012-06-08 21:39
ステキなお母様のおはなし、興味深く読ませていただきました。
本当に、気高く生きられた方なのですね。
最後の10年、ご本人にはどのように感じられていたのでしょうか。
私も、ossさんと同じく自然死が理想です。
Commented by あきの at 2012-06-09 06:05 x
わたしもossさんとまったく同じ意見なのはお分かりと思います。大丸のときが良かったですよね。長引かせるときは、よくまわりがその意義を考えるべきです。ほんとに。
Commented by oss102 at 2012-06-09 15:22
sharifaさん
佐江衆一の「黄洛」では母親は断食します。家族も理解して接します。それは自宅で看ているから出来ることで病院にいては出来ることではありません。
命の尊厳とはただ生きながらえるのを望むことではないと思うのに、難しい問題がからむのでますます難しくなっていきます。
Commented by oss102 at 2012-06-09 15:25
こじまさん
母は決して抜きん出た才能があったり、世の中で活躍はしませんでした。普通に生きたのです。その普通のことが素晴らしいと思うのです。私なんかとても普通のレベルでは生きていません。ズル休みばかりしている怠け者です。母は怠けなかったのが立派と思うのですよ。
Commented by oss102 at 2012-06-09 15:28
fuchanさん
世の中も少しずつ変わってはいくと思うのですが、今の病院は自然死とは遠いところにありますね。
寝たきりの盲目になってからは母はしばしば私に早く死にたいと訴えました。手を握るしかありませんでした。
Commented by oss102 at 2012-06-09 15:30
あきのさん
晩年の母が死を願っていても、こんなに愛されて育った母に娘の私はなんにも出来ませんでした。とても残念です。
大丸で終わらせたかったです。
Commented by hanairomimi201 at 2012-06-10 09:58
OSSさんのお母様が書かれたものはまさに自分史ですね。
私は母の生涯と重なって悔恨と反省で読ませていただきました
母が自分の苦しみを書いたものを私に残しています・でも・こんなに素晴らしいものでなく・字も上手ではなかったです。
Commented by oss102 at 2012-06-10 11:59
hanairomimiさん
お母さまは、ご自分の苦しみを書く事で昇華しようとしたんですね。
私の母は子供たちに遺す気持ちで書きましたので、よいことばかりを書いています。内心は苦しいこともあったと思うのですよ。
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