仔猫時代 今でもず~っと仲良し
by oss102
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カテゴリ:思い出( 246 )

まつり雑感
 昨日、6月15日はサッポロ祭り・・今は北海道神宮祭り。久々に青空がひろがって、さぞや祭りの売店も賑わった事だろう。でもまだ風は冷たかったな。

元気のよい道産子は、1度腕を出すともう重ねたくない。結構半袖Tシャツのオジサン・若者・子供たちが町を歩いている。 家庭ではストーブを点けてね。

今も夏の制服にいっせいに替えるのだろうか。今も子供たちは、振袖にキンキラのつくりオタイコをつけて、塗りのガッパなど履くのだろうか。 いや、お稚児さんにでもならないかぎり、もう振袖は着ないよね。
今は7分丈のきれいな着物の裾はヒラヒラのフリルがついたドレスだものね。

孫もひ孫もいないから、たまにそんな子を見てビックリする。合理的!

口紅をちょっとだけつけてもらって、落ちないようにオチョボ口にとんがらせて姉たちに笑われた幼い日。色褪せない遠い昔。幼いころの思い出はいくつになっても忘れない。

小樽も祭りが多い町だけど、もう花飾りをつける家はなくなった。第一(ひさし)がない。四角いスノーダクトの家ばかりが増えた。 祭りの気分も薄くなったが、ヒサシの雨宿りのロマンスも生まれなくなった。


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by oss102 | 2018-06-16 16:00 | 思い出 | Comments(5)
運動会

 麻雀のいつもの仲間の60代の男。孫の運動会なので次週は休むと云っていた。だが、調子よく大勝して・・早く帰ってきてくるかな?・・なんていう。「3年男子なら早く終わるかもね」というと、それがリレー選手なのだという。「それじゃあ見てやらないと・・」「俺はさっぱりだったのに、誰に似たのかな・・」 巨漢のジジは言う。

私も少々足は速かった。戦後は近隣の学校の運動会にも選手代表で出かけた。粗悪なノートをもらってうれしかった。

管内の陸上選手にも選ばれて走ったが、管内ともなると入賞とは遠かった。あのころ女子では100m15秒台で選手だったのだが、そこでは14秒台の選手がいた。

今は靴もコースも体形も違ってきたから、もっとよい記録が出てるのだろうな。

この時期はリラ冷え。寒い運動会がよくあった。
末の子の出産まもなくの運動会には、田舎から両親に来てもらった。冷たい風が吹くなかを出かけて冷え切って帰宅。 ストーブを焚いた。父62才・母52才・・若かったねぇ。

いま、札幌では午前中で終わる運動会なんですって。そのほうが、下級生も上級生の運動も見られるし・・と良い面を取り上げていたが、やはり母親も働く時代、お弁当を豪華に開いて、一緒に食べられない子への配慮なのかと思う。

今は動画を撮るのに忙しい親たちなんでしょうね。席取り合戦はなくなったのかなぁ。


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by oss102 | 2018-05-26 16:00 | 思い出 | Comments(6)
大喰らい家族
 今話題のアメフトの宮川がたびたびTVに映る。ネネと食事しながら、アメフトの選手がそろって食べ放題の店になんか行くと、店つぶれちゃうよね。 相撲の連中なんかもね・・・

ということから昔の思い出話になった。父が倒れて入院、母が付き添い、兄嫁もいろいろ忙しくなった。 夏休み、見舞いがてらに実家みんなの食事当番するよ・・と里帰りした。

田舎なので、料理の素材も調味料もなく苦戦した。それでも母に代わり父のオムツの交換もし、お風呂の掃除・トイレ掃除などなど、少しでも役に立ちたいと頑張った。

兄は最後の日、自分の2人の小学生兄弟と私の小学生2人と3才の子たちを、そのころ出来てきたバーベキューの店に連れて行ってくれた。 兄の子・特に長男は、小さい時から食が細く、ジジババ、両親から一口食べるごとに「おお!エライエライ!」と称賛を浴び、食事の時間が苦痛という子だった。

生まれて初めて焼肉の店に連れていかれて、わが子たちは、あまりの美味しさに感動した。いくらでも食べられる。 兄は最初は「気持ちよくたべるなぁ~、もっと食べろ・・」と言ってたそうな。

その話を聞くたびに、「オジサン可哀そう!!」と私が叫ぶ。 我が家は標準からみてもかなりの大喰い家族なのだ。 子供と言うのはそんなに食べるものではない・・と兄は思っていたと思う。

美味しい思い出話を遺してくれた父は、入院してから105日目で亡くなった。
兄もいない。


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by oss102 | 2018-05-24 16:33 | 思い出 | Comments(4)
突然死
  ネコ好きな大杉漣さんが亡くなった。 急に心臓が動かなくなってしまうのを急性心不全と一般にはいうのですね。 身近に急に死んでしまったのはフウロ13才。 ネコ好きな方だからネコと一緒にしても怒らないと思う。

この時も驚いたが、私が50代の頃、大変お世話になった男性も突然死だった。
そのころは、しょっちゅうスキー仲間のテニスクラブで札幌で遊んでいた。大会もペンション泊まりの2・3泊も度々あった。

その2泊目の秋のニセコの朝だったと思う。H氏が亡くなっていると周囲が騒ぎ出した。
昨日までテニス三昧、夜は飲み放題の宴会だった。

H氏は、まれにみる優しい男性で、よく初心者の指導をかってでていた。
仲間の大会では、必ず初心者と組む。 テニスもスキーも上級者でフォームもきれい。みんな少しでも上手な人と組んで勝ちたかったのに、いつもそうだった。

私がメンバーを集めていた小樽まで来てくれた。
どうしてあんなやさしい人間ができるのだろう・・とやさしくない私は、いつも感心して甘えていた。 とてもショックだった。 世話役の男性が「やっぱり心臓なら、その瞬間は苦しかったろうな・・」といった言葉が耳に残った。

1年後の秋、H氏を偲ぶ仲間の大会に、和服を着た奥さんがお礼を述べた。

大杉漣は、ネコのドラマしか見ていない。私はドラマを殆どみないので・・でも実力のある役者さんだったようで・・・ご冥福を祈ります。


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by oss102 | 2018-02-23 16:00 | 思い出 | Comments(10)
いい顔
 むかしむかし・・「たけくらべ」が映画になった。主役の信如は津川雅彦。弟分に松本染五郎。
その染五郎が幸四郎になって白鸚になった、歌舞伎界はややこしい。

津川雅彦はりりしい整った顔の少年だった。染五郎は目の吊り上がったキカン坊。主役の美登利を苦しめる。もちろん私は美男子ずき。
何代目というのか、先代の幸四郎はとっても美男子で、映画の主役をしてた。その奥さんがちょっと吊り上がった目の人で、母親に似たのだろう。 残念な顔だと思った。

月日が経って、染五郎は幸四郎になり、立派な役者になり父親になった。
なんと風格のある貌になったことか。 これがその昔、ミッタクナイ・・と思った少年の大人顔とは思えない。

男は40代で顔をつくる・・とかいう言葉があった。日々の暮らしが顔に出る・・ともいう。
まぁ、出るよりも造るの方がピッタリかな。

因みに美少年だった津川雅彦は、名門の一家を率いる立場とはちがって、個人の役者となった。
それなりに出ているのは、個性を強烈に出した役者になったからだろう。
でも、もう私の中の乙女心は、見たくない顔になった。

自分の顔も、できれば見たくなくなったけれど・・・( ;∀;)


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by oss102 | 2018-02-16 16:20 | 思い出 | Comments(10)
チンダル現象
 横文字なんか、なにもかも忘れていくのに、私は忘れない横文字が2つある。
ロールシャッハテストチンダル現象という言葉。

みなさんもご存じだろうが、ロールシャッハテストは、あいまいな映像を見せて、これから何をイメージするかという心理テスト。

チンダル現象は、部分的に射してくる光線のこと。
高校生のとき授業で受けて、なんども思い出したり使ったりしたので、忘れないのだと思う。

快晴の昨日は、一日本を読んでいた。いつもはベットで寝ているショウマ。家族のにおいがあると膝で眠りたがる。重くて窮屈!! でも満足した顔で眠るショウマは可愛い。^^

冬日の斜めの光線が射し込むソファで、ショウマをなでるとパーっと毛が舞い上がる。
「ワァ!こんなに抜け毛が・・」 そこでチンダル現象!と脳に浮かぶ。

田舎の家の縁側には、よく部分的な光線が射し込んだ。チリがイッパイ浮遊している。
息を詰めてホウキで掃除。 ほかのところだって同じくチリは浮遊しているはずなのに。見えるところでは思わず息をとめるのだ。 そのたびにチンダル現象!!と思うので忘れないのだ。

ちょっと調べてみたら・・・
チンダル現象とは、大気中の微粒子が太陽光を錯乱させる結果、現れる光の帯。光の道筋。

雲の切れ間の光は、天国からの光。ヨーロッパでは天国の階段と呼ばれている。
チンダルは19世紀の科学者の名前とありました。


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by oss102 | 2018-02-03 16:00 | 思い出 | Comments(14)
みみかき
 今朝の新聞の健康コラムに、耳をいたわる・大人は掃除しすぎ禁物。と見出しにあった。
長姉は64才で亡くなったが、私は耳かきが原因と思っている。

耳かきが好きで、私をつかまえるとよく耳かきをしてくれた。「わぁ!!イッパイあるう~・・」と感激しながらとってくれた。

姉自身も、いつもマッチ棒で耳かきをしていた。どうしてマッチ棒だったんだろう。
そうして、あるときからバイ菌でも入ったのか、耳を痛がるようになった。
臆病で臆病で・・病院へはどんなにすすめても行かなかった。耳を抑えて耐えていた。

そのうちに、それが原因で胃がんになったのだと思う。胃がんで入院して、介護で心をいためていた義兄は、やっぱり胃がんで姉より先に亡くなった。 姉も間もなく・・・

私はミミアカには無頓着で、いっぱいためて姉を喜ばしていたが、今はときどき補聴器を使うので、耳かきをする。乾いた大きなのが出ると、姉を思い出す。

10才上の姉だったから、一緒に遊んだりはしなかったが、いま思い出してみれば、本当に世話になった。引き揚げで一文無しの両親を助けて、次姉や私を婚家先へ次々引き取って、それぞれドレスメーカーとか、タイプの学校へ通わせてくれた。

義兄は長男だった。実家の弟を引き取って映画技師の勉強をさせていた。
あのころの長男・長女は、よく親族や弟妹の面倒をみてくれたんですねぇ。

ちょっとテーマから外れましたが、耳かきとともに思い出す感謝です。^^

ネネが新年のくじ引きで2等を取ってきました。そのなかのフアフアのキイホルダー・・若いころはフアフアに夢中になっていたショウマですが・・・

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by oss102 | 2018-01-14 16:06 | 思い出 | Comments(10)
成人式
 世の中にはお金持ちのハタチも多いようで、成人式に出るのに、もりもりの格好で、百万かけた。とか言ってるバカ者がいた。
成人になるのは、一生に一度だから・・なんて。
毎日が一生に一度だろ!!と云ってやりたい。

まぁ、憤慨してTVを見てる私だって、一生に一度のこの日を迎えているわけで。しっかり生きているかと問われれば面目ない。 自分のことは棚に上げることにしよう。

最高気温がプラス4℃の今日は、車が派手にしぶきをあげて通る。これが冷えるとまたツルツル路面。
今年の12月はこの繰り返し。なりふり構わずストックついて歩くシニアが増えた。
スキーストックなら、どこの物置にも2・3組くらいはある。

たいして買い物もないのに、少しは歩こう!と市場へ。 ヤヤッ・・正月関連の食品の特売の山。
わが母娘がだいすきなメーカーの生蕎麦が半額!! コンニャク・白滝、LLサイズ65円。イタリアのトマト缶は46円だ。 どんどん買ってカート一杯にしてうんこら引っ張ってきた。
これも筋力トレーニングだ。

帰宅してピーピー警告音をならす冷蔵庫に、ダマレ!ダマレ!!といいつつ買い物の整理。
冷凍庫にはとっくに賞味期限が切れている生蕎麦、たった1割引きのが入っている。(/_;)

どの食品も賞味期限が近い。それが特売の理由なのは知っている。順番にマジックで番号をつける。
ベランダのダンボール冷蔵庫も、日が照ると心配になる。 日陰になるようにカメの内側に置く。

日陰を求めると、どうしても隣家との通路が狭くなる。 冬だけだからガマンして・・・と、連休は暇な私。

成人式のことを書いた過去記事です。 お暇な方はアーカイブ編を読んでください。
m(__)m


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by oss102 | 2018-01-08 14:59 | 思い出 | Comments(10)
車の履歴  2

 自動車学校では、構内運転の時小鳥を轢いた。私が初めての運転で、コトリがコースへ飛び降りた。「アッ・・コトリが・・!!」と言ったのに、助手席の先生は、「いいから、飛んで逃げるからそのまま・・」という。 そろそろ行ったのにコトリを轢いてしまった。初の運転で1つの命を奪ってしまった。 夏の頃だったから、まだ巣立ったばかりのヒナだったんでしょうね。
先生を恨んでも仕方ない。でも一生忘れない・・とその時思った。

坂道発進で1度落ちて、2度目の挑戦で無事合格した。

夫がいなかったこともあり、毎日、夏は暇なスキー仲間を乗せて支笏湖など、空いているコースに繰り出した。

カリーナには何年乗ったのかな。2台目は4輪駆動のスバル・レオーネ。
ハイランドのスキー場へ行くのに、前輪だけでは登り切れずに涙を飲んだことがある。
ちょうど、姪が東京へ転居するので1万円で売りたいと姉から聞いて、早速買った。

たまに帰ってくる夫は、「小さい・狭い・・」と文句を言ったが、1万円・イチマンエンと唱えて文句を抑えた。 4Wのパワーは凄い! 雪道で困ることはなかった。

3台目はトヨタの4Wの後ろが開くタイプ。1800ccだったかな? 車種の名前は忘れた。
スキーハンガーをつけずに、室内へ押し込めた。
これでリサイクル屋の仕入れも配達もした。 この車の購入のときの記憶がない。???

 また、明日へ

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by oss102 | 2017-07-06 16:00 | 思い出 | Comments(7)
車の履歴

 以前にも書いたことがあるが、私が免許を取ったのは48才のとき。
メカには馬鹿の壁が立ちふさがるタチで、決断するのに3日かかった。事故を起こせば地獄・やっぱり止めよう・・いや、やっぱりトライしよう!!

生活が大変だったから、夫も車の免許は遅かった。かなり苦戦してたようだ。
その後、長男が取り・ネネが取った。
春スキーのときなど、スキー場まで迎えに来てもらったことがある。夫も練習したかったのだと思う。

ネネの取り立ての時、夕方、同乗してどこか走っていたとき、すれ違う車が「ライトがついていないよ」・・と何台も合図を送ってくれる。 早く点けなさい・・と言っても、走りながらでは点けられない初心者ばかりだった。

夫が沖縄に転勤になり、長男もネネもいなくなり、高校生の次男とガレージのトヨタカリーナが残されていた。

そこで、テニスで膝を痛めて暇な女に、免許取得の誘惑が襲い掛かったのだった。
そのころ、テニス仲間の主婦たちも、次々と自動車学校へ通い、テニスコートも、そんな話題がたくさん出た。

以前のこんな思い出話を覚えている、頭の良い方。 書いた記事が見つけられないので、かなり重複して書きますが、カンベンしてくださいね。 

          つづく・・・


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by oss102 | 2017-07-05 17:25 | 思い出 | Comments(6)