仔猫時代 今でもず~っと仲良し
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世界一住みやすい島 バヌアツ島
e0001808_19311679.jpg ちょっと旅行会社からお借りしてきた写真です。

南太平洋の奥、メラネシア地域にある島々、バヌアツ共和国。今、結構観光地化しているようだ。

この島の名を知ったのは、ほんのひと月まえ、テレビの報道で知ったから、皆さんもご存知とおもう。

世界一住みやすい国と定評がついて、テレビ局が取材していたのを見た。
平均気温25度。温暖な気候で家も簡単。

都会から車で10分で、未舗装になり、あたりはジャングル化してくる。

そこに生活する20才のマリさんに取材していた。
「必要なものは、全部ここにあるわ」 テレビも冷蔵庫も、パソコンもないところで、彼女はこういいきっていた。 犬がその辺に自由に寝そべり、家族揃っての夕食。

リーダーは、家族と地域社会を大切に・・・それをこわす経済文化は望まない。といっていた。

今の日本には無いものがここにはある。 夢の楽園である。
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# by oss102 | 2006-09-09 19:46 | 日々のこと | Comments(12)
8月もいまも、花は咲きつづけていました。
 コリウス・・モナラベンダー・・白妙菊  どんどん終わっていく花達の中で寒くなるまで頑張る貴重なヤツです。
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はつゆき草(ユーロホルビア) こぼれ種のはつゆき草をもらってきて、植え込み済みの花たちの中へ押し込みました。花が少なくなったグリーンの葉の中へ、背の高いはつゆき草は、ふるいつきたくなるほど素敵です。
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千日紅ー小鈴 丈夫で大きくなりました。のびすぎた枝を切ってコップに挿しておくと
根がドンドンでてきて、中々枯れてくれません。
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e0001808_21254364.jpg これがヒメフウロです。。可憐さにほれこみ、拾った小さなネコにフウロと名づけました。 ところが茎には細かい毛が生えていて、ものすごく繁殖力旺盛です。
いたるところにふえすぎて、今は片端から抜かれる運命です。本州の方では高山植物として、貴重品扱いです。



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セローシア・ベネズエラ 夏の花です。鶏頭の種類です。(モコモコモンスターという別名があります。)
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# by oss102 | 2006-09-08 21:42 | いとしの花たち | Comments(12)
新鮮さんまはうまい!!
お刺身に出来るさんまだけど、ママチャンが料理すると半分になるからね。 いつも塩焼き。

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熱い焼きたてくれるんだけど、さましてほしいなぁ。

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お腹一杯の爆睡フウロ、落ちそうです。
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100円ショップで買ってきたんだってさ。背中に手が届かなくなったのかな。
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いまどきの100均は、500円、300円、200円とあるから用心したのですが、木製で105円。
ちょっと柔らかめブラシが物足りないけど、背中だけと思って買ったのに全身に使ってしまいました。
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# by oss102 | 2006-09-07 19:11 | いとしのネコたち | Comments(17)
離婚の認知度
 今日は青森の弘前に住む姪の来訪があった。家族だけでする姉の法事で来訪したという。

長男一家へ一泊したが、私のところへ来るのは内緒だという。

姪は2度離婚している。金沢で3人の子を産み、青森で2人の子を産んでいる。どんな事情があるのか子を置いてきている。  43才一人暮らし。

弘前のイトーヨーカドーで掃除婦をして、他に居酒屋で皿洗いなど下働きをしている。生活は厳しいが、結婚生活はもっと耐えられなかったということだろう。
卓球をしたりドイツ語をしたり、結構余暇も楽しんでいるようだ。

どうして叔母である私のところへ来るのが内緒なのか、気になって聞いてみた。
長男のお嫁さんが、2度目の離婚を私達に知らせたがらないのだという。
恥ずかしいと思っているのか。 意外に思った。

娘は離婚している。この日に合わせて休みを取ったバツ1の娘、バツ2の姪、後家の私、女3人はヒルトンホテルで1500円のランチしながら、おしゃべりをする。

娘は1度でコリゴリと言えば、姪も2度でコリゴリと言う。3人笑いながら陽気なものである。

私などは、娘は出戻りでと平気で言っているが、世間に知らせたくない気風は、開放的といわれる北海道にも、まだ残っているのかと意外であった。
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# by oss102 | 2006-09-06 19:58 | 日々のこと | Comments(9)
8月からほったらかされて・・・・久々ねこたちの登場です。
みなさん、ぼくたちは相変わらずやっています。

オッ! ショウマ、またやるかい!!
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イクゼッ!! かかってこい!!
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ニャ~~~に~! チェリーなんかこわくないぞ~~!! 勝手に尻尾が太くなるだけだよ。
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空手のサンチンの構えって、こうこじゃなかった??
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オ・マ・ケ  しまい忘れたピンクの舌でした。
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# by oss102 | 2006-09-05 17:41 | いとしのネコたち | Comments(18)
母の手記  一生の思出
 祖母コマツの手記に刺激されてか、私の母も64歳のときに手記を残している。

e0001808_21242933.jpg 母の時代は、太平洋戦争(夫の出征)~終戦~樺太からの引き揚げとそれなりの苦労の時代であったが、祖母コマツの壮絶な人生と較べると、読み物としては物足りない。

子供のころは、札幌の薄野近辺で店をしていた母と琴似で教員をしていた父のところを行ったり来たりしている。

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驚いたのは、薄野から琴似まで歩いて行ったとある。 大人の足でも一時間以上の距離である。

遠い遠い道を、姉や従兄弟達と遊びながら歩いて行くのは楽しかった。
野原の真ん中にポツンと小さな小学校が建っており、その近くに父の住んでいる住宅がある。

その家が見える処まで行くと、皆で声を合わせて「おばば~~~」と呼ぶ。
すると小窓があいて、優しいおばばの顔がのぞき「お~~~い」と手招きする。
皆はいっせいに駆け出す。
  映画のシーンを観ているようである。

母はいつも店の帳場に座って大福帳を見ながら、算盤をはじいていた。
或る日、大きな葬式饅頭をもらったので、指で中のあんを全部掘り出して食べ、皮だけソロバンをしている母の口の中へギュッと押し込んだ。
母は一寸眉をひそめたがソロバンの手を休めずモグモグと食べてしまった。


仕事に夢中な母と、ちょっと退屈している子の様子が見て取れる。

女学校時代、新婚時代と続くが戦中、戦後の苦労話はまだ記憶している人も多く、ここでは母もこんな手記を残していますと紹介するのにとどめます。
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# by oss102 | 2006-09-04 21:39 | 日々のこと | Comments(11)
祖父と祖母のこと・・・吾等の一生より 夫婦の晩年
 小花井に平和な暮らしが訪れ、孫の顔も見て安心な生活が訪れる。

ここに初めて夫婦が一緒に暮らすことになりました。けれども永い間、夫婦の情愛が失われていたものですから、一緒にくらしていても、互いに水臭い匂いが取れませんでした。

ところが大正6年の夏、栗栖さまのお世話になって、一週間の禊(みそぎ)をしましたので、その水臭い匂いもようやく取れました。

本当の夫婦になったような気持ちになりました。
そしてこの度、二人が心の中を打ち明けて、この懺悔話を書いたので、お互いに今までの疑いも晴れて、嬉しく日を送るようになりました。

人生とはまことに夢のようなものであります。
・・・・・・と終わっています。

e0001808_2056848.jpg上欄の黒いところは、誠一郎がコマツの悪口を書いた(批判と思う)のを、夫の死後、コマツが10頁にも渡って炭で塗りつぶしている。 残念 読みたかったな~

他に誠一郎の父が「この文明の世に、刀は不要だ」と言って、伝家の名刀大小、槍も薙刀も大きい箱に一杯あったのを古物屋に残らず2足3文で売ったのを、ひどく残念がっているところがある。

婿である私の父も、戦後軍刀を全て処分し、短刀一振りをナタにしている。

私がいくら高価なものであっても、使わないものは思い切り処分し、着心地の良いセ-ターは千円のものでも何年も着るというところが、同じ血だなァ、と感心したりしています。

 享年 誠一郎 数えの68歳、 コマツ 60歳  祖父は私の生まれる前年、私が祖父の生まれ変わりと言われました。 コマツは私が3歳前に亡くなっています。

時代に翻弄された夫婦の書き物も、破れ、薄れ、判読も難しく、また、興味を持って保存してくれそうな孫達も一族の中に見当たりません。

残念ですが、こうして皆様に読んでいただけたのも、ブログの縁で、これでこの書物も本望と思います。
                                    有難うございました。
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# by oss102 | 2006-09-03 21:02 | 日々のこと | Comments(15)
祖父と祖母のこと・・・吾等の一生より コマツに感謝はするものの
 無事未決監から出てきて、エセ坊主によるコマツへの誤解のくだりは書きました。
そうした中で・・・・

それから旭川で筆耕したり、農場の監督をしたり、代用教員を勤めている間は、妻に随分苦労をさせました。

妻が家のためを思ふて命がけの働きをしてくれたことを、あまり嬉しく思いませんでした。
良妻賢母というものは、そんなものでは無いと思いました。
コマツの母の如きが真の良妻であり、良い母であると思います。
 と長年の心のうちを書く一方で・・・・・

コマツが真に妻とも、命の親とも心の中で感謝していることは、妻は自分の着物ばかりでなく、可愛い我が子の着物まで売って、控訴金50円を納めてくれた事です。

もしもあの時、その金を納めてくれなかったならば、私は無実の罪に服さねばならぬのです。
私は、万一無実の罪に落ちるならば、生きてはおられん、舌を噛み切ってでも死なねばならぬと決心をしていました。

それからもう一つ、常に感謝していることは、旭川にいて生活の困難な中に、私を師範学校に入れてくれたことです。

もしもあの時、私が師範学校に入ることが出来なかったならば、一生無資格の教員で終わるのでした。

故に妻がどんなに失敗をしましても、たとえ財産全部をなくしましても、決して恨みません。
生活以上の財産は無いからです。
私の生命を助けてくれた妻が、財産をなくしたとて恨むことは出来ません。
妻が商業に失敗の結果は、自ら非常なる勤勉の結果でした。

札幌に於いても、母恋に於いても、実にいふにいわれぬ苦労をしました。

この小花井に来てから、漸く楽になったのであります。


                                    つづく

                                       
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# by oss102 | 2006-09-02 17:12 | 日々のこと | Comments(8)
祖父と祖母のこと・・・吾等の一生より 父と誠一郎 その2
 誠一郎が骨を惜しむのに反して、父親は反対に正直で仕事に精を出す。

それだから父と私とは常に気が合いませんでした。共に楽しんだ事はありません。『なんといふ親不孝者になったものか』と我が身ながら自分であきれる事さへありました。

現役中は家を離れることが出来ませんから、やむを得ず父と同居していましたが、予備役になるとすぐ、許可を得て空知集治監の看守を奉職しました。

父と別れておりますと妙なもので、互いに懐かしい思いがして、手紙を出すのであります。
そこで時々帰ってきて顔を見合すと、忽ち嫌な気持ちになるのです。
幼少のときに叱られた時の、鋭い父の眼が私の眼に写ると、そのままうつむくようになるのです。
私がうつむくと、父もまた嫌気になるようになるわけで、実に困った次第でありました。


出征中のこと、帰えってからの仕事の事、盗伐木で罪をかぶせられるいきさつ、八卦見の坊主にだまされるいきさつなどが数ページに渡って、細かく書かれていますが割愛します。

コマツの持ち物全部を売っての控訴のおかげで、無罪となりましたが・・・・・

裁判所から帰りますと、もう日が暮れていましたので、明朝出してくれるのかと思ふていますと、そこへ看守が来て、所持品を渡して午後10時頃未決監を出ました。

宿賃も無いので、監に泊めてくれればよいと思いましたけれども、罪の無い者は1時間も置くことは出来ぬと申されました。

それから旅館に泊まって、翌朝父に電報を打って、金を持ってきてもらい帰りました。


随分ひどいことをするものですね。今はそんなことはないでしょう
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# by oss102 | 2006-09-01 18:57 | 日々のこと | Comments(8)
祖父と祖母のこと・・・吾等の一生より 屯田兵に
 明治10年頃から金沢では金箔業が盛んになり、父親はその仕事をしていました。

誠一郎にも「お前は学問が嫌いだから、学校を止めて箔打ちを身につけてはどうか」とすすめ、喜んで退学する。

このことを誠一郎は、生涯悔いることになる。父親に厳しくにらまれるのが嫌だっただけで、学問は嫌いでなかった。

父はその後、広い土地に家を建て、鶏を沢山飼ったり、公債より利子がよいと、銀行の株を買ったりしますが、銀行がつぶれて大損したり、鶏は貂に食い殺され、嫌になって二束三文で売り払ったりと損ばかりしています。

湯屋は士族の営業として、もっとも気楽な良い仕事で、他の商人にだまされることがない。などと聞き、叔父が手放した湯屋を引き受けますが、みな同じ思いの士族が、俄かに沢山湯屋を開き、競争して湯銭を下げたものですから、少しも利益がないことになりました。

明治18年屯田兵募集を知り、先ず誠一郎が志願する。
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金石港から汽船に乗り、小樽に上陸、そこでくじを引いて江別へ。番号によって兵屋に入るが4千坪に1戸ずつ前の兵屋に行くのにも40間余ありました。

古兵の炊事で生煮えの飯ばかり食べ、やたら水ばかり飲んで私は脚気病になりました。札幌の病院に4ヶ月ほど入院。

私は身体が弱いばかりでなく、随分怠け者でありました。なるべく骨を折らずに人並みの仕事をしたいというようなずるい事ばかり考えていました。
私が骨を惜しんで怠けただけ、私自身の損になったのです。


ここを読んで私は思わず笑ってしまいました。お手伝いが嫌いだった少女時代から、今に至るまで遊ぶことには励むが労働が嫌い。おじいちゃん、あんたに似ました。 

屯田兵の記録もこうして全部残っていました。時間をかけて検索してようやく見つけたときは歓声をあげてしまいました。皆さんには興味もないものなのにゴメンナサイ

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# by oss102 | 2006-08-31 20:18 | 日々のこと | Comments(9)